本当にあった怖い話

怖い話の投稿サイト。自由に投稿やコメントができます。

新着 長編

名札のある階段

志那羽尾岩子 3日前
怖い 3
怖くない 2
chat_bubble 0
293 views
存在を知っている、そんな呼びかけだった。 心臓が跳ねた。言葉が喉に貼りついて出ないまま、私は扉に近づいた。覗き窓の向こうに目を寄せると、暗闇が広がっていた。見慣れた廊下でも部屋でもない。光の欠片ひとつ浮かばない、均質で深い黒。そこに何かがいるのに、形を結ぶ前に視線が吸い込まれそうな黒だった。 「返してよ……おねえさん、返して」 子どもの声は、覗き窓に触れるほどの距離で響いた。すぐそこに顔があるはずなのに、何も見えない。息だけがガラスを曇らせて、小さく円形の曇りが生まれ、ゆっくり広がった。 私は咄嗟に胸を見る。抱えていたはずの白いワイシャツが、ない。階段を走ったときに落としたのだろうか。いや、それなら濡れた階段のどこかで踏んでいたはずだ。なのに、胸には何の感触も残っていなかった。まるで最初から持っていなかったかのように。 「返して……返して……」 声が次第に重なり、幼い一人分だったはずの声が、ふたり、みたりに増えていく。それなのに扉の向こうの暗闇に影はひとつも浮かばない。黒い海の底から泡が上がるように、声だけが増殖していく。 身体が硬直し、膝が笑い、指の先が痺れる。私はその場から逃げたいのに、覗き窓から目が離れなかった。黒の中心が、わずかに膨らんだ気がしたからだ。膨らんだというより、こちら側へ伸びた。押し出されるように。 息が詰まり、私は踊り場から後ずさった。扉の向こうの黒がわずかに揺れた。水面が揺れるように。しかしそれは上下ではなく、縦に伸びた。細く尖った影が、覗き窓のガラスに触れようとしていた。 ぱちん、と乾いた音がした。覗き窓の金具が弾けたのかと思ったが、その音は階段の上から響いた。振り返ると、上階から濡れた足跡が、ひとつ、またひとつと階段を降りてきていた。足跡は新しく、滴をまとっている。まるで足裏そのものがまだそこにあるように、生々しい輪郭で。 私は息を飲んだ。扉の向こうからの声と、階段上から近づく足跡。どちらか片方ならまだ逃げ道がある。しかし両方が同時に迫ってくる。道が塞がれた。その気配を身体が理解した。 水の匂いが濃くなった。生乾きや脂の匂いに混じって、もっと強い、鉄のような匂いが立ち上る。それが床下から、階段の隙間から、壁の中から滲むように漂ってくる。 扉の覗き窓の黒が、ぽっかりと口を開けたように感じた。上から降りてくる足跡の間隔が短くなる。濡れた足音が、もう数段上まで来ていた

後日談:

  • 《解説》 表向きは「古い建物の怪異に遭遇した話」に見えるが、仕掛けは以下。 ・物語の中で、主人公は一度も「子どものシャツを拾った」と明確に描写されていない。 “拾ったつもり”で抱えていたのは、建物側が主人公の記憶を書き換えた結果。 ・階段のループ現象は「帰り道を閉じるため」ではなく「主人公をスキャンして複製するため」の工程。  登場する“白いもの”や“沈んだはずのワイシャツ”は、その複製過程の断片。 ・最後に胸についた名札が主人公の名前だったのは、  建物側が“主人公の子ども服”を完成させた証拠。 ・つまり主人公は「助けを求めていた側」に“仕上がった”。  序盤で聞こえた「たすけて」は、もとは主人公の声だった可能性がある。 建物に入った時点で、主人公は「受け取られる側」になっていた、という反転。

この怖い話はどうでしたか?

f X LINE

chat_bubble コメント(0件)

コメントはまだありません。

0/500

お客様の端末情報

IP:::ffff:172.30.0.105

端末:Mozilla/5.0 AppleWebKit/537.36 (KHTML, like Gecko; compatible; ClaudeBot/1.0; +claudebot@anthropic.com)

※ 不適切な投稿の抑止・対応のために記録される場合があります。

label 話題のタグ

search

一息で読める短い怪談

読み込み中...

静かに恐怖が深まる中編集

読み込み中...

迷い込む長編異界録

読み込み中...
chat_bubble 0