
放課後の教室は、窓の外の部活の声だけが遠くて、黒板のチョーク粉が光って見えた。
「ねえ、今日も残る?」
振り向くと、菅野(かんの)紗良が立っていた。二年の春から同じクラスになって、最初に話しかけてきたのも彼女だ。やたらと距離が近くて、笑うときだけ目が笑わない。けれど、そういう子はクラスに一人くらいいる。
「用事あるから」
「そっか。じゃあ、帰り道だけ」
断りきれなくて、並んで昇降口を出た。彼女は私の歩幅にぴたりと合わせる。靴紐がほどけたときには、しゃがみこんで結び直してくれた。まるで私の体の一部みたいに。
その日から、紗良は私の「外側」に住みついた。
ロッカーを開けると、いつもペンケースがきれいに揃っている。机の中のプリントが日付順に並ぶ。休んだ日は、誰に頼んだ覚えもないノートの写しが置かれている。紙の端に、丸い字で一言。
――好き。
最初は冗談だと思った。女子同士でも、そういうノリはある。そう信じたかった。
でも、紗良はノリではなかった。
昼休み、私が別の友だちと笑っていると、紗良は少し離れた席で弁当を閉じ、箸を揃えて置いた。そのまま、私たちの笑い声の「間」に目を向けている。まるで、そこに自分が入り込める隙間を探すみたいに。
ある日、私のスマホに知らない番号からメッセージが届いた。
ねえ、今日の三時間目
先生の話、つまらなかったね
右から二番目の窓、少し曇ってた
ぞっとした。三時間目、私は窓の曇りを指で拭って、丸を書いたのを覚えている。周りに気づかれないように、小さく。
振り返ると、紗良はノートを取っていた。前髪の隙間からこちらを見て、にっこりした。笑顔なのに、皮膚の下が冷たい。
その日の放課後、思い切って言った。
「私、そういうの、やめてほしい」
紗良は首を傾げた。まばたきが遅い。
「どれのこと?」
「……見てたでしょ。私のこと」
「見るよ。好きだもん」
言い方が、雨の日の体育館みたいに反響した。軽いはずの言葉が、重く戻ってくる。
「好き、って、そういう意味じゃなくて」
「じゃあ、どういう意味?」
彼女は私の机の縁を指でなぞった。爪の先が木目を撫でる音が、やけに大きい。
「私、あなたの“好き”になりたいの。あなたが好きなもの、好きな景色、好きな匂い。全部、私の中に入れたら、あなたと同じになるでしょ?」
「同じにならなくていいよ。私は私で……」
「ううん」
紗良は笑った。
「あなたは、“一人”でいようとするから、寂しくなるの」
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