
彼は目が覚めた瞬間、不安に包まれていた。夢の中で彼は、冬の夜に山中の廃屋にいた。壁にかけられた古びた日記が、彼の目を引いた。日記の中には、過去の記憶が完璧に封じ込められていた。
「君の記憶、ひとつちょうだい。代わりに、他の誰かのをあげる。」
その言葉が、頭の中で響いていた。彼はそれを無視しようとしたが、昨晩の夢の中で出会った影が、彼をじっと見つめていた。
日記の内容は、彼の祖母のもので、そこには彼の知らない家族の秘密が綴られていた。彼は夢の中で、祖母の若い頃を追体験することになった。彼女がどう生き、何を感じていたのか、まるで自分のことのように感じた。
「お前は変わった。最近、私のことを全く覚えていないようだ。」
祖母の言葉が、彼の心に刺さる。彼は気づいてしまった。自分の好きな食べ物や趣味が、次第に変わっていっているのだ。冷蔵庫の中の食材も、以前とは違うものが並んでいた。
ある夜、夢の中で彼は、見知らぬ男と激しい口論を繰り広げていた。男の怒声が夢の中でこだまし、彼は恐れを感じた。そして、男の手が彼の頬に当たる感触を覚えた。
夢から覚めると、彼の頬には青あざができていた。これは彼の夢ではなく、誰かの記憶が彼の体を侵食している証拠だった。
やがて決定的な夜がやってきた。彼は夢の中で、祖母と争っていた。泣き叫ぶ少年の声が響き、怒る祖母の姿が目に浮かんだ。
目が覚めたとき、彼は自分の手が血に染まっているのに気づいた。急いで台所に行くと、祖母が倒れていた。彼の手には、血のついた包丁が握られていた。
「春、どうしたの?」
祖母がかすれた声で呼んだ。それが彼女の最後の言葉だった。彼は混乱し、何が起こったのか理解できなかった。警察がやってきて、彼は精神的に不安定だと告げられた。
彼はただ一つだけ覚えている。祖母が死んだ夜、夢の中であの影が笑っていたこと。「記憶を交換したでしょ?君の時間と、誰かの時間。」その言葉が、彼の心を締め付ける。
彼は今、精神病院で暮らしている。夜になるたびに、他人の記憶が襲ってくる。そして、朝が来るたびに、自分の“彼”が薄れていく。あの影は、まだ彼の夢の中にいる。夢と現実が交錯する中で、彼は徐々に自分を失っていく。どこまでが彼自身の記憶で、どこからが他の誰かのものなのか、もう彼にはわからなかった。
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