
長編
迷い込んだ遭難者
しもやん 3日前
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書いてあった。罫線からはみ出すことなく軸のずれもない。内容はわたしが疑問に思っていたことそのものだった。F岳の裏道2合目まで降りてきているのに、なぜ彼は下山できなかったのか? たとえ登山道外の支沢にいるにしても、方角さえ見当をつけて強引に降りてしまえばふもとは目と鼻の先である。雨乞岳の北側のようにいくつもの谷が合流する鈴鹿深部ならいざ知らず、適当に沢なり尾根なりを辿って降りてしまえば助かったはずだ。まして日記の文面や装備からして、彼は相当の経験を持つ一流の山屋のように思える。いったいなにが起きたのだろうか。
10月16日 くもり
今日も下山を試みるも、また例のスリングが落ちている地点に戻ってきてしまった。これはいったいどういうことなのだろうか。自分は絶対に現在地の支沢を東に歩いて下っていた。けれども気づくと沢を登っている。これは意図的に180度方向転換しなければ起こらないはずである。もちろん自分はそんなことをした覚えはない。ビバーク用のツェルトで夜をしのいでいるが、寒さが身に染みる。食料も残り少ない。水だけは豊富にあるが、食料が切れれば遠からず体力の低下で動けなくなる。明日中には下山しなければ危ない。
10月17日 晴れ
ついにつながらないまま携帯の電池が切れた。F岳2合目でつながらないというのもおかしいが、どこへかけても終始ホワイトノイズしか聞こえないというのはどういうことなのか。おかけになった電話番号はというアナウンスも流れなかった。それどころかもっと恐ろしいことに気づいた。自分の持っている地形図と周りの地形に齟齬がある。自分のいる(と思っていた)支沢が仮に2合目付近の出合から派生した沢であるなら、両どなりに顕著な尾根がなければならない。だが尾根は幅の広い緩やかなものだ。地形図の記載ミスであることを祈る。そうでなければ自分は完全に現在地をロストしていることになる。
背筋に悪寒が走った。慌てて持っていた地形図を参照してみる。しかし日記のような齟齬は見られなかった。両どなりには顕著な尾根が屹立しており、等高線の詰まり具合も現場と一致している。彼はパニックのあまり読図を見誤ったのだろうか。
10月18日 くもり
今日も一日中ふもとを目指して歩いた。歩けば歩くほどふもとが遠ざかっていく気がする。気づくと例のスリングが目に飛び込んでくる。無意識のうちに転回して歩いている可能性があったので、コンパスを睨み
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