
長編
山
匿名 2025年5月6日
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私の地元には、初心者でも登りやすいと人気の山があります。
冬が近付くと落ち葉が登山口を塞ぐほど降り積もるので、地元の人間はボランティアで集まり、箒や雪かきスコップで掃除をします。
その日も私含め、地元の人たちが落ち葉掃きやゴミ拾いをしていました。
私は登山口から100メートルほど離れた、近くに川が流れる場所でゴミを袋に詰める作業をしていたのですが、後ろから「こんにちは」と声をかけられました。
人の気配は感じられなかったので少しびっくりしましたが、振り返ると70代くらいの白髪が綺麗な男性が立っていました。
私も挨拶を返し、お散歩ですか?と聞くと、男性は「あなたの隣にいるんです、とても寒くて」と言いました。
妙な返答だなと思いつつ、男性は薄手のフリースとスラックス姿だったので、「もう冬になりますしダウンやコートを羽織らないと風邪を引きますよ。私もダウンを着ないと寒くて作業できないです」と言うと、男性は「これから山に行くんです」と答えました。
もう15時を過ぎていましたし、それにその様な軽装では危ないですよと言ったのですが、男性はスタスタと登山口に歩いて行ってしまいました。
なので作業をしている仲間(以下Aとします)に電話をして、ご老人が軽装でトレッキングポールも持たず登山すると行ってしまったので、注意してくれないかと伝えました。
その後10分くらいして電話があり、しばらく注意して見てたけど私が言ったようなご老人は来ていないとAは言いました。
山に行くとは言っていたけど登山ではなく付近を見て帰ったのかと考えましたが、帰るにしても私がいる場所を通る筈ですから不思議に思いました。
作業していたし気付かなかったのかなとあまり深く考えず、その日は終わりました。
一週間後、今年は落ち葉の量が凄いと連絡があり、またボランティアの要請を受けたので夕方ごろ現場に向かいました。
私と他に一人(以下Bとします)、登山口で落ち葉掃きをしていると、前に私が作業していた場所でゴミ拾いをしていたAから電話がありました。
グレーのフリースを着たご老人が山に行くと言って向かったので、日も傾いているし止めてあげてほしい、という連絡でした。
グレーのフリース… もしかして、と思いふと目線を上げると、あの男性が立っていました。
Bはギョッとした様子で男性を見ていました。
男性は、「山に行ったんです。とても寒い。寒くて寒くて凍えそうだ」と言いながら登山道を進み始めました。
私は慌てて今から登山は危ないですよ!と手を取ろうとしましたが、男性はもの凄いスピードで歩いて行ってしまいました。
私はBに、男性について行くと伝え掃除を頼み、駆け足で追いかけました。
男性はあっという間に見えないところまで進んでいて、大声で声をかけ続けましたが反応はありませんでした。
その山は登山口から500メートルほど進むと、登山道の左側に川へ出られる道があるのですが、その道の茂みに白髪頭が見えました。
少しほっとして、一緒に下りましょう!と駆け寄りました。
男性は流れる川を見つめながら、「ここです。ここからわたしは…」と言うと、男性の左腕がもの凄い音と共に激しく跳ね上がり、その直後、上半身がバキリと音を立て後方に折れ曲がり崩れ落ちました。
一体何が起きたのかと混乱し、目の前の出来事があまりにも衝撃的で頭と身体がフリーズしました。
男性の右手がピクピクと痙攣しているのを見て正気に戻り、慌てて携帯電話で救急に電話をしました。
到着まで15分ほどかかると言われたので、とにかく早く男性を助けなければと思い、折れ曲がった男性の上半身を元に戻そうと身体を掲げ上げました。
「大丈夫ですか!?私の声が聞こえますか!?」と言い終わると同時くらいに、また身体がフリーズしました。
「寒い。寒い。寒くて痛くて…。いつ迎えに来てくれますか?」と言いながら、男性はじっと私を見つめていました。
黒目が下瞼に沈み込むほどの状態で私を見つめ、身体がおかしな形状になっているのに淡々と「あなたの隣にいたんです。寒くて寒くて凍えそうです」と言いました。
私は恐怖でおかしくなりそうでしたが、「今救急車が来ますからしっかりしてください、気をしっかり持ってください」と繰り返しました。
永遠に感じる様な時間、どうか早く救急隊が来てくれますようにとひたすら願い続けました。
しばらくすると遠くからサイレンの音が聞こえ、私は心底ほっとして、男性に登山道から逸れた道なので救急隊を迎えに行きますと伝えました。
着ていたダウンを土の上に敷いて、男性をその上に寝かせ大急ぎで登山口に向かって走りました。
登山口にいたBは慌てた私の様子を見て、心配そうにどうした?と聞いて来ましたが、遠くに見えた救急車に向かって大きく手を振りました。
今はそれどころじゃないんだと言って、Bにも救急車に見えるように大きく両手を振って貰いました。
駆け付けた救急隊に、男性が大怪我をしたんですと伝え、男性を寝かせた場所へ全速力で向かいました。
現場に着いてほっとしたのも束の間、男性の姿はどこにもありませんでした。
あんな状態で動けるはずがないと思い、「救急隊が来ました!どこですか!?どこにいますか!?助けに来ました!」と叫びながら辺りを探し回りましたが、男性は見つかりませんでした。
救急隊の方々は、「もしかしたら川に落ちてしまったのかもしれません。応援を呼んで付近の川を捜索しますので、あなたは登山口で待っていてください」と言いました。
私は言われた通り登山口まで下り、不安そうな顔をしていたBに先程までのことを説明しました。
するとBは、「実はあのおじいさん一瞬でお前の目の前に現れたんだよ。掃き掃除してた落ち葉をふざけてお前にぶっかけてやろうと思ってお前に駆け寄ったら、瞬きする間に現れたんだ。びっくりしすぎて何も言えなかった。その間にお前がおじいさん追いかけて行ったから… 」と教えてくれました。
背中にひやりとしたものを感じ、その後は二人で口をつぐみました。
それからまた15分くらいして消防車が到着し、人員を増やして捜索が始まりました。
その捜索から1時間弱、「こっちだ!!」という声が聞こえました。
振り返ると、Aが作業をしていた場所付近の川に救急隊が走っていくのが見えました。
私とBも駆け寄り、見つかったのかと少し安堵しましたが、担架で運ばれる姿を見て愕然としました。
ベージュの毛布に隠れて全身は見えませんでしたが、その隙間からグレーのフリースが見えました。
そしてそこから見えたおそらく手首、首元は人の肌とは程遠い色をしていました。
呆然と立ち尽くした私とBに、最初に駆け付けてくれた救急隊の方が大丈夫ですか?と声をかけてくれました。
そしてこう言いました。
「大きな声では言えませんが、山や海、川ではこういうことが稀にあるんです。あまり深く考え込まないようにしてくださいね」
その後、ありがとうございましたと言われ、救急隊は去って行きました。
走り去っていく救急車と消防車を見ながら、私はぐるぐると考えていました。
「あなたの隣にいるんです、とても寒くて」
あの言葉は、私が作業していた場所の隣に流れていた川に、男性がいたという事だったんだろうか。
2日後、行方不明になっていた男性が◯◯山付近の川で発見されたという記事が新聞に載っていました。
左腕と腰骨に酷い骨折をしていて、亡くなってから2ヶ月ほど経っていたという内容でした。
「ここです。ここからわたしは…」
激しく跳ね上がった左腕と、後方に折れ曲がった腰、骨折をしていたという状態と酷くリンクしました。
不可思議でしたが、行方不明だった男性が見つかってよかったのかな、と思う出来事でした。
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