
古道具や骨董品を扱う小さな雑貨店の奥で、一体の市松人形が目に留まった。白い肌に黒髪、淡く色褪せた着物をまとい、微笑んでいるようでいて、どこか人間の感情を帯びた生々しさがあった。店主は「少し特別な子です」とだけ告げ、詳細は語ろうとしなかった。その沈黙はかえって好奇心を刺激した。外は冷たい雨が降り続けていた夜、手に取った人形をバッグに入れ、帰路についた。
最初の夜は静かで、何事も起こらなかった。しかし翌朝、棚に飾ったはずの人形の向きが微妙に変わっていたのに気づく。気のせいだろうと自分に言い聞かせるが、夜になると廊下で コツ、コツ と小さな足音が聞こえる。木造建物の軋みだと思い込もうとするが、音は確実に部屋の方へ近づき、時折、畳の隙間を踏むような微かな湿った音まで混ざる。目を閉じても、閉じなくても、背中に冷たい視線が突き刺さるようで、眠ることもままならなかった。
日を追うごとに、人形は少しずつ近くに寄ってくるように見えた。布団の端に座っていたり、棚からベッドを見下ろしていたり、暗い部屋の隅で微かに揺れる気配が感じられた。夜中に目を覚ますと、薄暗い影の中で人形の目がこちらをじっと見つめている。まぶたを閉じても、その視線は消えず、耳元にかすかな囁きが聞こえた。「……さむい……」慌てて目を開けると、布団のすぐ横に人形が座っていた。しかし瞬きをすると、元の棚に戻り、湿った足跡だけが現実に起きた証として残っていた。
恐怖に耐えかね、再び雑貨店を訪れると、店主は倉庫の奥に案内した。そこには同じような市松人形が何体も並び、どれも生きているかのように光を宿していた。「この人形たちは孤独な子供のために作られました。夜になると、ひとりで眠れない子のもとに寄っていくことがあります。一度“気づかれる”と、離れられなくなる」と告げられた。胸が凍りつく。
その夜、布団のそばに人形を置き、「今夜だけね」と囁いて眠りについた。耳元でかすかな声が聞こえた。「……あったかい……」安心した気持ちと同時に、眠りの深みに沈む。しかし朝目覚めると、人形はどこにもおらず、足元には着物を思わせる細い布切れだけが落ちていた。廊下では相変わらず コツ、コツ と絶え間なく足音が響き、夜を支配していた。
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