
数年前、友人と温泉旅行を計画した。予約したのは山奥にある古びた旅館で、館内は歴史を感じさせる佇まいだった。私たちが着いたのは日が暮れる頃で、旅館は静まり返っていた。
部屋に入ると、窓際に大きな古い鏡が置いてあり、その前には二段ベッドが並んでいた。私たちはそれぞれ上段と下段に分かれて寝ることにした。友人はすぐに眠りに落ちたが、私はなぜかその鏡が気になって仕方がなかった。
夜中、ふと目が覚めると、何かに引き寄せられるように鏡の前に立っていた。そこで見たのは、自分の姿ではなく、そこに映るはずのない女性の顔だった。驚いて後ずさりしたが、彼女の目は私をじっと見つめていた。恐怖で心臓が高鳴る。
その瞬間、背後から低い声が聞こえた。「助けて…」と、冷たい風が背中を撫でた。私は一瞬動けなくなり、ただその声に耳を傾けるしかなかった。友人も目を覚まし、何が起こったのか尋ねてきたが、私は言葉を失っていた。
鏡の中の女性は、次第にその顔を歪め、怒りの表情に変わった。「私を忘れないで」と囁くように言い、私の心を締め付けてきた。恐怖が頂点に達したとき、友人が私を揺り起こし、気を取り直して部屋を出ることにした。
廊下に出ると、静けさの中に異様な空気が漂っていた。私たちは急いでロビーに向かい、そこで宿の主に事情を話した。彼は驚いた様子で、先代の女将がこの部屋で亡くなったことを告げた。彼女は生前、鏡を大切にしていたと言われていた。
翌朝、私は再び鏡を見に行った。しかし、何も映っていなかった。友人と一緒に旅館を後にする際、振り返ると、鏡の中には微笑む女将の姿がちらりと見えたような気がした。あの夜の出来事が夢だったのか、現実だったのか、未だに判別がつかない。だが、あの声は今でも耳に残っている。
もし、あの瞬間、友人がいなければ、私はどうなっていたのだろう。そう考えると、今でも背筋が凍る思いだ。
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