
友人は一昨年の夏、転勤の為に大阪の社宅へと引っ越した。
そのアパートはとても古く、おおよそ資産価値がなくなったところを社宅用に買い上げたのだろう、引っ越しの荷物を運ぶのにも外階段はひどい軋みようだった。
ひどく神経質なその友人は「衛生状態が」だの「虫が出そう」だの、と越す前から早くも愚痴気味だったのを今でも憶えている。
たしかに虫もでたし、衛生状態もよかったとは言えない建物ではあったようだ。
なにかトラブルのたびに電話で彼から報告を聞いた。
けれども住めば都というか、人は誰しも慣れるらしく、頻繁に手を洗い、鍵や元栓を確認する彼のような男でも、たとえばゴキブリに驚かなくなるものらしい。
自然と連絡も減っていった。
その矢先だった。
夜中、急に彼から電話がきた。
彼はこんな不躾なことはしない男だったので、何事かと思い電話に出ると、
開口一番、
「水が、、水が出るんだ、、、。」
と言う。
私がなんのことか分からず戸惑っていると、
「止まらない、、!…止まらないっ、。!」
……私は"なぁんだ"と思い、ホッともし、そして馬鹿馬鹿しくもなり、イライラもしてきた。
思わず語気を強め、
「ただの水道トラブルだろ?そういうのは俺じゃなくて業者に…」
「ちがうんだよォ!!!」
とんでもない声量に思わず耳を塞いだ。
遠ざけた電話口の向こうで彼がなにか捲し立てている。
時刻は午前3時をまわったところで、冬の寒さと暗さが私を取り囲んでいた。
"長くなりそうだな…"
私は暖房をつけて、コーヒーを淹れることにした。
蛇口を捻り、水をいれ、沸かす。
その間も彼の言葉は続いている。
…少し平静を取り戻したようだった。
以前から彼は取り乱しがちだったので、このときは大したことと私は捉えていなかった。
面倒だとさえ、感じていた。
ひとまず話を聞くことにして適当におあいそしよう。
そう考えていた。
話はこうだった。
今でも後悔している。
聞かなければ、よかったのだ。
彼は強迫の気があり、いつも出かける際、あらゆるものを何度も確認した。
蛇口の栓もそのひとつだ。
そこに不備はなく、確実で、水が漏れっぱなしで出かけることはあり得なかった。
それは電話をした二ヶ月前から始まったらしい。
ある日、彼が遅く仕事から帰ると、閉めたはずの蛇口から水が滴っている。
"うわっ!?閉め忘れた?"
そんなわけはないと思い、栓に手を伸ばすと
「キャハハははははは!!」
キッチンの小窓の外で女の笑い声が聞こえた。
それにまず彼は驚いた。
後日談:
- 警察から聞けたのは、私と通話した段階でなぜか彼は兵庫の西宮にいたとのことだけでした。 アパートにはすでにいなかったのです。 私が電話口で聞いたものはいったいなんだったのでしょうか? おそらくは血の滴る音、肉感のあるものがシンクに落ちるような音。 彼について何かご存知の方がいればどんな些細なことでもよいので連絡いただけると幸いです。
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