
結婚して数年が経ち、子供が産まれて間もない頃の話だ。
春が終わり夏が始まりかけていた。
夜になっても空気は重たく、金曜日ということもあり1週間の疲れが身体に蓄積していた。
そしてその夜、私はひとつの奇妙な経験をした。
──帰宅したのは日付が変わった後だった。
私「ただいま。」
誰にも聞かせないよう、声を落とす。
妻も子どもも、もう眠っているはずだ。
玄関に鞄を置き、明かりをつけないまま足音を立てないように浴室へ向かった。
シャンプーをしている時、ふと会社での同僚との会話を思い出した。
──先日あった交通事故の話だった。
同僚「この間の事故の話、聞いたか?正面衝突で生き残った女の子のやつ。」
私「あー、付き合っていた彼氏と相手の車に乗ってたカップルが亡くなった事故だろ。本人は車椅子生活だし、悲惨だよなー。」
同僚「そうそう。なんでもウチの会社を辞めてからしばらくして失踪したらしいぞ。入院していた時から病院の先生にも変なこと言っていたみたいだし。」
私「えっ?何?噂話じゃなくて怖い話?怖い話は無理だよ?」
─────
ザァーーー。
シャワーでシャンプーの泡を洗い流す。
深夜という時間のせいか、目を閉じている間の背後が必要以上に気になる。
何もいないと分かっているはずなのに、視線のようなものを感じてしまう。
もちろん、私に振り返る勇気なんて無い。
ちゃぷん。
結局何事もなく湯船に浸かる。
ポタッ……、ポタッ……、ポタッ……。
水道から垂れる水の音が規則正しく響いている。
世間が寝静まっている時間帯だからだろうか、その音だけがやけに際立って聞こえた。
私「ふぁ〜〜。もう眠いし早く出て寝よう…。」
妻と子どもを起こさないよう布団に身体を滑り込ませると、意識はすぐさま遠のいていった。
─────
気づくと、屋内の広い空間に立っていた。
天井は高く、白い蛍光灯が等間隔に並んでいる。
どこかで大規模に開催されているフリーマーケットの会場らしかった。
売り子は子供向けアニメに出てくるようなゾウやキリン、ネコの姿をしていたため、すぐに現実でないことだけは分かった。
すると突然、自分の身体なのに言うことを聞かず勝手に歩き出した。
私(何処に向かってるんだ?)
どうやら会場の隅へ向かっているようだ。
人の気配が徐々に薄れていく。
壁際に非常口が見えくるとそこに向かっているのだと気づいた。
非常口付近だけは仄暗い赤色のライトで照らされ、緑色に光る非常口の誘導灯が不自然に明るく不気味だ。
後日談:
- 数日後、妻が亡くなった。 勤務先の病院で火災があり、避難を手伝っている最中だったという。 発見された時、顔や身体はひどく損傷していたそうだ。 その話を聞いたとき、 夢の中の、あのナースの姿が重なった。 何かを伝えようとしていたのかもしれない。 そう考えないようにしても、考えてしまう。 あの夜以来、私はずっと後悔している。 それでも立ち止まるわけにはいかない。 私にはまだ幼い子供がいるのだから。 ただ最近夜になると、布団の中で首元に冷たい感触を覚えることがある。 何も見えないはずなのに。 それでも私は、子どもの寝顔を確かめる度、 そこに何もないことを確かめずにはいられないのだ。
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