
地元に戻ったのは、母が入院したからだ。海と山に挟まれた町で、駅前の店は夕方には閉まる。夜は暗い。暗いのに、誰がどこで何をしているかは妙によく知られている。
病院の受付で名前を書いていたら、「紗枝?」と声をかけられた。振り向くと、紬(つむぎ)が立っていた。中学の同級生で、当時から人の世話を焼くタイプだった。私の手元を見て、すぐに視線をそらす。そこに指輪も何もないのに、見られた気がして落ち着かない。
「久しぶり。帰ってきてたんだね」
「母がね。しばらくいると思う」
「そう。よかった」
よかった、の意味が分からなかった。
その日から紬は毎日、病院に来た。私の母の病室に花を置き、飲み物を買ってきて、帰り道を車で送る。断っても「ついで」と言う。私は助かっていると思い込もうとした。東京の友人には会えず、恋人の真琴(まこと)とは通話も短くなる。回線が悪いせいだ、と説明した。
ある夜、真琴から届いたメッセージに返信しようとしたら、送信が失敗した。何度押しても同じ。Wi-Fiはつながっているのに、真琴宛てだけ送れない。代わりに、写真アプリに見覚えのないアルバムが増えていた。
《つむぎ》
開くと、私の写真が入っていた。病院の駐車場を歩く後ろ姿。コンビニでレジに並ぶ横顔。撮られた覚えがない距離の写真ばかりだった。心臓が早くなる。削除しようとしても、ゴミ箱に入らない。共有設定も見当たらない。
翌日、紬は私のスマホケースを指でなぞって言った。
「新しいのに変えたんだ」
私は答えられなかった。誰にも言っていない。買ったのは東京にいたときだ。
その夜から、町の空気がさらに窮屈になった。商店の人が私を見て「帰ってきたんだね」と言う。誰も“いつまでいるの”とは聞かない。聞かないのに、決めつけている感じがする。私の居場所は最初からここだと言いたげに。
母の病室で、紬がふいに口にした。
「東京の人って、優しい?」
「人によるよ」
「恋人も?」
心臓が一瞬止まった。母は眠っている。看護師はいない。逃げ場がない。
「……どうして知ってるの」
紬は笑わなかった。
「知ってるよ。女の人でしょ」
声が低い。怒っているわけでもない。淡々としているのが怖い。
その日から、真琴の連絡が途切れがちになった。メッセージは既読にならない。通話はすぐ切れる。焦って電話をかけ続けたら、夜中に真琴から一通だけ届いた。
『しばらく距離を置こう。理由は聞かないで』
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