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中編
「死」の概念
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「死」の概念

2016年6月23日
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「死」とは客観的な概念である。

なぜなら、死んだ本人は死んだことに気づかないからである。

死んだ人間を周りの人間が「死んだ」と認識することで初めて「死」が成立するのである。

例えば、「小学生の女の子が学校で先生に褒められ、これを早く母親に伝えたいと思い、走って家に帰る途中、車にひかれて死んだ」としよう。

このとき、女の子は不幸だろうか?

私は、そうは思わない。

なぜなら、女の子は自分が死んでいることに気づいておらず、先生に褒められ「うれしい」という気持ちの中、人生を終えることができたからである。

一方、不幸なのは母親である。

自分の娘の「死」を認識し、受け入れなければならないからである。

多くの人は女の子の将来性を含めて、「女の子がかわいそう」とかいうが、その子が幸せになるという保証はない。

また、長く生きることが幸せとも限らない。

私の趣味は銭湯に行ってサウナに入ることである。

しかし、サウナの中では毎回同じメンツのクソジジイ共が

「ああ、死にたい」

とか言っている。

彼らは、「死」というものを他人に甘えるための道具として使っているのだ。

本当は、定年退職し、暇だから、他人に優しくしてもらいたいために「死」を利用しているのだ。

私は、たとえ長く生きたとしても「死」をこのように軽く使いたくはない。

せっかく親から与えられた「生」なのだから。

では、どうすれば「満足できる人生」を送ることができるのだろうか。

私は、「人のために生きること」と解する。

自分の人生とは、「ジグソーパズルのワンピース」である。

他人があって初めて自分が存在する。

色々な人の人生がそれぞれワンピースとして存在し、それらが結合し、残された最後の枠に入るのが自分の人生である。

愛されている人は、愛してくれる人を喜ばせようと一生懸命生きる。

そして、結果を出し、愛してくれる人(周りのワンピース達)を喜ばせる。

他人のために生きる人生を選択すれば「満足できる人生」を送ることができるだろう。

そう、小学生の女の子のように。   完

*「私」が実際に体験した「本当にあった怖い話」シリーズ

① スーパー銭湯

② 扇風機おじさん

③ 喪黒兄

④ 「死」の概念

⑤ 自転車チャンピオン

⑥ スネオ系男子

⑦ ケンシロウ

⑧ 綱吉公の理想郷

⑨ 禁忌と懺悔

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後日談:

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はじめまして、よろしくお願いします。

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