
「今思えば、彼氏の元カノは“まがまが女”だった」
これは数年前、私がまだ都内でひとり暮らししていた頃の話です。
今でもたまに、玄関のドアスコープを覗きたくなる夜があります。
彼氏の涼(りょう)と付き合いはじめて、三ヶ月くらい経った頃。
彼は優しくて、穏やかで、怒るところを見たことがない人でした。
ただ、ひとつだけ妙な癖がありました。
私の部屋に入るとき、必ず一度だけドアノブを「逆方向」に回すんです。鍵が開いているのに、わざわざ“閉める方向”へ回してから、普通に開ける。
「なにそれ?」って笑うと、涼は困った顔で言いました。
「……クセ。気にしないで」
その言い方が、ただのクセじゃないみたいで。
でも、追及したら悪い気がして、私はそれ以上聞きませんでした。
ある日、仕事から帰ると郵便受けに、見覚えのない薄い封筒が入っていました。
差出人は空白。宛名は私の名前が、やけに丁寧な字で書かれている。
中に入っていたのは、名刺サイズの白いカード一枚。
そこに、黒いペンでたった一行。
「あなた、鍵の回し方が甘いよ」
その瞬間、背中が冷えました。
私、誰にも鍵の話なんてしていない。そもそも“鍵の回し方”って何?
その夜、涼に見せると、彼は目に見えて顔色を変えました。
そして、カードを私の手から奪うみたいに取って、しばらく黙ってから言ったんです。
「……元カノかもしれない」
元カノ。
聞いたことはありました。別れ方がちょっと面倒だった、と。
「面倒って、どんな?」と聞くと、涼は言葉を選ぶように、息を吸って吐いて。
「普通の人、じゃなかった。……“見つける”のが得意で」
その言い方が、冗談に聞こえませんでした。
それから、小さな違和感が積み重なっていきました。
・コンビニで買ったばかりの牛乳が、なぜか冷蔵庫の奥で横倒しになっている
・ベランダに干した服の向きだけが、裏返っている
・玄関のたたきに、細い髪の毛が一本落ちている(私の髪より黒い)
気のせいと言えば気のせい。
でも、気のせいにしてしまうと“それで終わってしまう”ような、変な確信がありました。
決定的だったのは、夜中の留守電です。
非通知から、無言が三十秒。切れる直前、息を吸う音だけが入っていた。
それが、なぜか笑っているみたいに聞こえた。
涼に相談すると、彼は私の部屋に泊まる回数を増やしました。
ただ、彼は相変わらず、入室するとき必ずドアノブを逆方向に回す。
「ねえ、それ、ほんとにただのクセ?」
私が真面目に聞くと、涼は観念したみたいに言いました。
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