
夜、いつものようにカメラを持って廃墟に向かった。
薄暗い通路を進むと、かすかな耳鳴りが響いた。
それは低く、うっすらとした音で… まるで誰かのささやきのよう。
廃墟の中では、影がちらちらと動くように見えた。
カメラを構えると、心がざわついた。
この場所には、かつて人がいた。
その記憶が、今もこの空間に残っているのだろうか。
シャッターを切る。
写真には、見えないはずのものが写る。
何度も確認したが、明らかに不自然な影が映っていた。
耳鳴りが強くなると、誰かが近い。
恐怖というより、むしろ興味が湧いてくる。
この影が何を伝えたがっているのか… そんな思いが胸をかすめた。
その夜、家に戻ってからも耳鳴りは続いた。
静かな部屋に響く音。
強くなった耳鳴りの中に、確かに呼ぶ声が聞こえた気がした。
それは、白い服の子どもだった。
怖くはない。ただ、静かに胸が痛い。
この影と、わたしの記憶はどんな繋がりを持っているのだろう。
たぶん、また夢を見る。
そのとき、何かを知るのかもしれない。
それでも、あの音はまだ続いてる。
耳鳴りが消えた頃、写真を投稿した。
「これを見て、不安になる人がいるかもしれない。」
そう思いながら、シャッターを切った瞬間の気持ちを思い出し、再び耳鳴りを聞いた。
何かがまだ近くにいる気がして、恐れと期待が交錯する。
何を求めているのか、彼らの声を聞けるのか、わたしには分からない。
この不安定な空間で、ただ、感じるだけの存在でいたいと思う。
それが、今のわたしの生き方なのかもしれない。
この体験を記録することで、何かが変わるかもしれないと信じているから。
あの影と、耳鳴りは、わたしの一部になっている。
それに気づいたとき、また新たな写真を求めているのだろう。
それでも、あの音はまだ続いてる。
だからこそ、いつかこの影が何を語りかけているのか、答えを見つけたい。
後日談:
- あの夜の出来事から数日後、SNSに投稿した写真は思いの外、多くの反響を呼んだ。 不安を感じる人々からのコメントがつき、少しずつ話題になり、同じように耳鳴りを感じる人たちとも交流が生まれた。 彼らは、自分たちの記憶の中にある「見えないもの」を語り始めた。 その中には、わたしが見た影と似たような存在がいた。 不思議なつながりを感じながら、わたしはまたカメラを手に取った。 もしかしたら、あの影はただの記憶の反映かもしれない。 しかし、わたしにとってはそれが生きている証なのだ。 耳鳴りとともに呼ぶ声が、今でも耳元で響いていることを忘れられない。 それが、わたしが生きている証でもあるから。 何かが近くにいることを実感しながら、今夜もカメラを持って、暗闇の中へと歩を進める。 ここには、見えない何かが確かに存在しているのだから。 それが、わたしを惹きつけてやまない理由なのだ。 あの影と、耳鳴り… それは、今もわたしの中で生きている。 それでも、あの音はまだ続いてる。 何かを求めて、ただ静かに待っている。 その答えを探し続けることが、わたしの使命なのかもしれない。 いつかその答えを見つけられることを信じて。 それでも、あの音はまだ続いてる。 それは、わたしを孤独から救う存在なのかもしれない。 だから、どうか、耳鳴りよ… 私を導いてくれ。 それが、今の私の願いなのだから。 この体験が誰かの記憶に残ることを願って。 それでも、あの音はまだ続いてる。 あの影とともに。 それが、私の選んだ生き方だから。
この怖い話はどうでしたか?
chat_bubble コメント(0件)
コメントはまだありません。