
これは、父親が大学生だった頃の話だ。
父は当時、大学のラグビー部に所属していた。
部員の中に一人、古いアパートに住んでいる男がいた。
家賃が妙に安かったらしい。
その理由について本人は、
「前の住人が夜逃げしたからじゃない?」
と笑っていた。
ただ、部屋を借りるとき、不動産屋から一つだけ変なことを言われたという。
「畳だけは、勝手に剥がさないでください」
理由を聞いても、
「古い畳なので、傷んでいますから」
としか答えなかった。
ある日、部員4人でその男の部屋に集まり、鍋をすることになった。
その中には、昔から「霊感がある」と言っていた男もいた。
4人でアパートまで行き、階段を上がって、部屋の前まで来た。
男が鍵を取り出した、その瞬間だった。
霊感のある友人が、突然立ち止まった。
そして部屋のドアを見たまま、
「……ごめん。俺、ここ無理だわ」
と言った。
みんな冗談だと思った。
「また始まったよ」
「鍋だけ食って帰ればいいだろ」
そう言って笑ったが、友人は笑わなかった。
「いや、本当に無理。入らない方がいい」
それだけ言って、帰ってしまった。
残った3人は、そのまま部屋に入った。
中は普通だった。
少し古い畳の部屋。
変な臭いもしない。
もちろん何も起こらなかった。
鍋を食べ、酒を飲み、くだらない話をして、夜遅くに解散した。
父も、その日のことはすぐに忘れた。
それから数か月後。
そのアパートでリフォームが行われることになった。
部屋の畳も交換することになり、業者が一枚ずつ畳を持ち上げていった。
そして、最後の一枚を剥がしたところで、作業員の手が止まった。
畳の裏側に、赤黒い染みがあったそうだ。
かなり大きい。
しかも、ただ広がった染みではなかった。
人が仰向けに倒れているような形をしていた。
頭。
肩。
腕。
胴体。
そして、左右に伸びた脚。
まるで、誰かが畳の裏に寝かされて、そのまま長い時間を過ごしたような形だった。
警察にも連絡したらしい。
だが、結局それが何なのかは分からなかった。
血液なのか、別の染みなのか。
古すぎて特定できなかったという。
父はその話を聞いて、あの霊感のある友人のことを思い出した。
そして、久しぶりに連絡を取った。
「あのとき、お前、あの部屋で何を感じたんだ?」
電話の向こうで、しばらく沈黙があった。
やがて友人が言った。
「……お前ら、本当に何も気づかなかったの?」
「何を?」
「部屋に入った瞬間、畳の下からずっと音がしてたんだよ」
父は笑った。
「音って?」
すると友人は、低い声で言った。
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