
名札を取り出したとき、何かが引っかかる感覚があった。
指先に触れたそれは、まるで冷たい金属のようで、心の奥に不安を抱かせた。名札には「高橋誠」と記されている。
当然のことだ。運転免許証にも、保険証にも、何もかもがそうなっている。
しかし、その名前が頭の中で繰り返されるたびに、胸に小さな違和感が生じた。まるで、それは自分のものではないかのように。
その夜、我慢できずに姉に電話をかけた。
「なあ、俺の名前って…なんだったっけ?」
姉は笑い声をあげた。
「え、もちろん高橋誠よ。何言ってるの?」
「……そうだよな。」
納得したフリをしながらも、胸の不安は消えなかった。過去の友人にもLINEを送ってみた。
「俺の名前って昔から高橋だったよな?」
「は? 何かおかしいのか?」
友人の茶化した返事に、深く訊ねることができなかった。しかし、心のもやもやは一向に晴れなかった。
そんな頃、冬が深まり、雪が降り始めていた。
久しぶりに有給を取ることができたので、山小屋にいる実家に帰ることにした。姉は元気で、俺を見た瞬間「痩せた?」と笑った。
小屋の中には、雪の音と静けさが広がっている。何も変わっていないその空間に、少しだけ安心感を覚えた。
晩ご飯の後、姉が古いアルバムを見せてくれた。
「懐かしいでしょ。小さい頃の写真、見てみる?」
写真が並ぶ中、一枚の古い写真に目が留まった。そこには、雪の中で遊ぶ子供が映っている。笑っているその子供は、確かに俺だ。
だが、写真の裏には「誠」と書かれていた。俺の記憶には、「高橋」という名前しかなかった。
「姉さん、今の写真で俺のことなんて書いてた?」
「え、何? その名前、誠よ。」
姉の言葉に違和感を覚え、俺は写真を何度も見返したくなった。しかし、どんなに見てもその名前だけが引っかかる。
深夜、気になってアルバムをもう一度探した。古い玩具や日記帳の奥から、一冊の薄いノートを見つけた。表紙には「誠」と書かれている。
ページをめくると、子供の頃の些細な出来事が綴られていたが、途中から急に空気が変わった。
「ぼくの なまえは かずきです」
その後のページには、手が震えているような文字でこう書かれていた。
「かみさまが おこっているので なまえがかわります」
次のページには、力強く書かれた文字があり、こう続いていた。
「わすれて」
目を離せなかったが、それ以上は何も書かれていなかった。
翌朝、姉にそのアルバムのことを訊ねた。
「昨日の写真、どこに行った?」
後日談:
後日談はまだありません。
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