
あの影は何だろう?
薄暗い地下室の中、私は何かの気配を感じて立ち尽くしていた。目の前には壁にもたれかかるようにしている人影がある。
その影は、私に気づいたのか、ゆっくりと顔を上げる動作を始めた。
見てはいけない。
理由は分からないが、心の奥底から警告が鳴り響く。もしあの顔を見たら…。
逃げなければ。今すぐにでもこの場を離れなければ。
その影がこちらを向く前に。私がその顔を認識する前に。さもなくば、私に待っているのは…
“終わり”
そんな直感が働くが、体は全く動かない。まるで石のように固まってしまった。心臓が高鳴り、鼓動が耳に響く。逃げろという思いで頭は一杯だが、体は従わない。
こっちを見るな。
気がつくと、その影は立ち上がり、私に向かって体を向けてきた。まだ顔は見えない。
動け、動け…。
影が徐々にこちらへと向かう。見てはいけないものが、”終わり”がこちらを向こうとしている。
あっ。
影には、顔がなかった。ただ漆黒の輪郭が浮かび上がる。無造作に垂れ下がる髪が胸元まで伸びている。
恐怖が胸に迫る。振り向いたそれは、ゆっくりと私に近づいてくる。近づくな、近づくな、近づくな…。
“終わり”が眼前に迫り、その手が私の首に触れようとしている。
苦しい。首が締め付けられる感覚が増していく。逃げられないのなら、何か他の手段を考えなければ。息苦しさの中で必死に思考を巡らせる。生きるために。そして、そんな時、左手に温もりがあることに気づいた。
殺さなければ。目の前の影を殺さなければ。
『はぁ、はぁ、何だ…?』
突然、目が覚めた。夢だったのだろうか。嫌な夢を見ていたのかもしれない。
寝室の静けさの中、娘が隣で寝ていることを思い出す。彼女が起きてしまわないかと、ドキドキしながら心配になる。
『あっ…、はぁはぁ。』
息が荒くなり、どうすべきか考え込む。起こした方がいいのか、それともこのままにしておくべきか。
殺さなければ…。
その言葉が頭の中で反響し、唯一動かせる左手を無意識に娘の方向に伸ばしてしまった。殺さなければ…、殺さなければ…。
バシッ!
突然、手が弾かれ、衝撃で目が覚めた。息苦しさが残る。隣にいる妻が何かを言おうとしている。
『◯◯さん、何してるの?!』
目の前にいるのは、寝ている娘の向こうで私の腕をつかむ妻。少しずつ意識が戻り、手を伸ばした先が娘だったのかと気づく。果たして、私の推測は正しいのだろうか。
夢と現実が交錯している。妻が手を弾いてくれなければ…。
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