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人食い沼
中編

人食い沼

匿名 2015年8月27日
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友人の話です。 彼女の姉が経験した話です。 では、話ぶりをその姉が語っているような形でお話します。 私は、M県の県立高校の三年生です。 この話は当時高校三年生だった姉の、仮にKさんとしますが、後に話したことです。 Kさんが高校を卒業してから、三年生当時の経験を話してくれた内容です。 高校近くの小高い丘には「人食い沼」といわれている、森に囲まれた不気味な沼があります。 ここには、昔から何人もの人が呑み込まれて命を落としたという話があって、子供の頃から近付くことを固く禁じられて来ました。 けれども、私の家から高校へ行くには、沼の脇の道を通り抜けるのがいちばん早いのです。 普段はなるべく避けているのですが、遅刻しそうなときや帰宅が遅くなったときに重宝していました。 あれは、梅雨の日のことです。 部活動を終えて外に出た私は、天を仰いで思わず顔をしかめました。 昼まで晴れていたのに、いまは鉛色の雲がどんより立ち込めて、すぐにも雨が降りだしそうな気配です。 運の悪いことに、私は朝の天気の良さに油断して雨具を用意していませんでした。 「雨が降る前に、早く帰らなくちゃ」 私は、自転車の前カゴに鞄を入れると、ペダルをこぎだしました。 と、それに合わせたかのように、 大きな雨粒がポツポツと落ちてきました。 空の様子から見て、本降りになるのは時間の問題です。 私は、迷わず沼の脇を通ることを選択して、雨が強くならないことを祈りながらバンドルを切りました。 けれども、願いも空しく、沼に差し掛かる頃には雨が激しくなり、私は全身びしょ濡れになりながら自転車を走らせることになりました。 そして、沼に近づいたとき、私は沼の脇に誰かが佇んでいるのを見つけたのです。 最初は小さな黒い塊のように見えましたが、近付くにつれて、それが老婆の姿であることがわかりました。 激しい雨で、彼女の表情を見ることは出来ませんが、泥まみれのモンペ姿の老婆は、 どしゃぶりの中で傘もささないで、ジッと沼を見つめているのです。 私は、つい老婆の傍で自転車を止めました。 〈もしかしたら、急な雨で帰れなくなったのかも知れない。あるいは、沼に飛び込んで自殺する気なのかも〉 そう考えると、老婆を無視することも出来ませんでした。 それに、手入れした形跡のないボサボサの髪を見ても、彼女が普通の状態でないのは想像がつきます。 「どうしたんですか?」 私が自転車を降りて声を掛けると、沼を見ていた老婆がようやく振り向きました。 「きゃあぁぁぁぁ!」 その顔を見た瞬間、私は思わず悲鳴をあげました。 老婆の顔は、左半分が白骨化していたのです。 雨でよくわからなかったのですが、顔の右側も腐って崩れ落ちる寸前のようです。 髪の毛は、まるで頭蓋骨から直接生えているように見えて、それが老婆の不気味さをいっそう増しています。 老婆は無言のまま私に近付いてきました。 崩れかけたその顔からは、なんの感情も 読み取ることは出来ません。 ただ、何も言わず迫ってくるその姿に、 私は底知れない恐怖を感じていました。 私は、慌てて自転車に飛び乗ると、全速力でペダルをこぎました。 ベチャ、ベチャ、ベチャ………。 私は、老婆の足音が執拗にあとを追ってくるのを、はっきりと感じていました。 かなりの速度を出しているはずなのに、 一向に振り切ることが出来ないのです。 けれども、怖くて振り向くことなど出来ません。 捕まったらどうなるか。 それを考えると、スピードを緩めることも出来ず、老婆から逃げることで頭がいっぱいになっていました。 ほんの一瞬、荷台をつかまれたような感覚を受けましたが、私はそれを無視してひたすら自転車を走らせつづけたのです。 しかし、永遠につづくかと思われた老婆の追跡は、不意に終わりを告げました。 私が森を出るのと同時に、後ろにずっと感じていた老婆の気配が消えたのです。 それでも、私は老婆がどこかにいるような気がして、自転車を止めることが出来ませんでした。 そして、激しい雨の中、自宅の前まで全速力で走ってきました。 自宅にたどり着き、恐る恐る振り返った私は、後ろに誰もいないのを確認してホッと胸を撫で下ろしました。 〈もしかすると、幻でも見たのかも知れない〉 半分白骨化した老婆に追いかけられたなんて、あまりにも現実離れしていて、私自身でも信じられませんでした。 ところが、フッと視線を落とした私は、全力で火照っていた身体が一瞬にして凍りついたような感覚を覚えました。 自転車の荷台には、雨に流されることもなく、指の形に泥がくっきりとこびりついていたのです。 数日後、泥は自然に落ちましたが、数年経ったいまでも、私はあの沼に近付くことが出来ません。

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