
ミウと付き合い始めて三週間で、俺のスマホは俺のものじゃなくなった。通知が鳴るたび彼女の指が先に伸び、「誰?」「何の用?」と画面を覗き込む。会社の女の同僚に「お疲れさま」と返しただけで、ミウはその晩、俺の指先を握って泣いた。「置いていかないで」と。
最初は愛情だと思った。前の恋で傷ついたらしいし、支えてやりたいとも思った。けれど、会食が入ると十分おきに通話が来る。店員が女性だとミウが代わりに注文する。近所の奥さんに挨拶しようとすると、腕を強く引かれる。息が詰まりはじめた頃、彼女は俺の部屋に「お守り」を持ち込んだ。
細い紙袋から出てきたのは、塩だった。ミウは玄関とクローゼットの前に、白い線をすっと引く。まるで結界の境目を描くみたいに。
「外の女、入れないようにするの」
冗談に聞こえなかった。彼女は笑わないまま、塩の上を指でなぞった。
その晩から、部屋が湿り始めた。換気しても、床の一角だけがいつも冷たい。クローゼットの奥から、濡れた布が擦れる音がする。俺が扉に近づくと、ミウがすぐ背中に回り込んで囁いた。
「開けないで。覗いたら、つながるから」
翌週、職場の新しいバリスタ、香奈が急に来なくなった。明るくて、客にも先輩にも好かれる子だった。シフト表の横に「体調不良」のメモが貼られ、店長は「連絡がつかない」と眉を寄せた。帰宅するとミウが珍しく機嫌がよく、俺のネクタイをほどきながら言った。
「可愛い子、いたよね。香奈って」
背筋がひやりとした。「なんで名前を」と聞く前に、ミウは俺のスマホを軽く叩いた。
「あなた、あの子の投稿に“いいね”してた。……目立つ子って、みんなに取られるでしょ」
その言い方が、まるで物みたいだった。
その夜、玄関の外で「とん、とん」と小さな音がした。のぞき穴に目を近づけた瞬間、ミウが肩を掴んで引き戻す。
「見ないでって言った」
声が尖っている。塩の線が、じわりと濡れて黒ずんでいた。
次の日から、店の裏口に髪の毛が落ちるようになった。排水溝に絡まる長い髪。誰かのいたずらだと思ったが、香奈のロッカーの前だけ、床が雨上がりみたいに濡れている。店長が俺に「様子見に行ってくれ」と言ったのは、ミウが塩を引いた夜と同じ顔をしていたからだ。
香奈の部屋は、駅から二本裏の古いアパートだった。インターホンを押すと、かすれた声で「開いてる」と返る。ドアを押す。薄暗い玄関。廊下の床に、白い筋が何本も伸びていた。塩――じゃない。粉石けんみたいに甘い匂いがする。
後日談:
後日談はまだありません。
この怖い話はどうでしたか?
chat_bubble コメント(0件)
コメントはまだありません。


