
長編
母親の最期の言葉
荷主 2016年7月19日
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これは実話
私には幼い頃の記憶がない。
記憶があるのは中学校の入学式の時から。
それ以前の記憶がない。
だから、マンモス校だった中学の時、中学校で友達になった子達が、
「私○○小学校出身なんだよね」とかいう会話についていけなかった。
そして、何故だか男性恐怖症で、肩を捕まれたりすると怖くて泣いていた。
だが、父親や弟は怖くはなかった。私には母親がいなかった。
入学式には父親が参加してくれた。何故私には母親がいないのかと聞いた時、父親は電話番号の書いてある紙を渡してきて、
「会いたかったら連絡して会うといい」
と、言った。
私は記憶にない母親がどんな人か確かめたくて、早速連絡して会う約束をした。
もしかしたら何故中学校以前の記憶がないのか教えてくれるかもしれない...父親に聞いても教えてくれなかったから...
日曜日、約束の場所へ向かうと、手を降る女性。と、男性がいた。
(あれが母親...隣りの男性は?)
「ドライブ行こうか」
母親は後部座席の私の隣りに乗った。
色々と話した気はするがどうでもいい事ばかりでウンザリしていた。なんか私の機嫌をとっているようなそんな感じ。
ついに私は聞いてみた。
「なんで私には中学校以前の記憶がないの?なんでお母さんは今私の家にいないの?」
母親は
「好きな人ができたからお父さんと離婚したのよ」
記憶の事には一切答えなかった。
それから何度か会ったがいつも母親の隣りには男性がいた。それが嫌でたまらなかった私は
「お母さんだけと会いたい。あの人がいるのが耐えられない」
そう言うとわかったと返事が返ってきた。
次の日曜日、約束どうり母親1人で来た。
そして、やっと記憶の事を話してくれた。
私が4歳の頃、弟は1歳になったばかり。私達を連れて近所の公園に行った。その頃、家族でA県にいたという。
弟はまだヨチヨチ歩きで目が離せなかった。
弟につきっきりだった母親が私から目を離した時、砂場にいた私が消えた。
弟を抱えアチコチを探したが見つからず、父親に連絡して、近所の人達も探したがいない。
そして警察に連絡。
範囲を拡げ搜索したが見つからない。
それから5年...半ば諦めていた時に警察から電話で見つかったとの連絡があった。しかし、警察は不思議だと言っていた。
私が見つかったのはとあるアパートの一室。隣りに住む方から異臭がするとの通報だった。
現場に駆けつけた警官は異様な光景に目を疑った。
私は誘拐されていた。が、誘拐したと思われる犯人は不可解な死に方をしていた。
自殺とも事故とも殺人ともとれる死に方だった。
私はその死体の横に座っていた。警官が何を聞いても答えずに。
母親と父親が警察署に駆けつけても表情も変えず何も語らずただ、ずっと一点を見つめていた。
そんな私を両親は精神科に連れていき、医師にあった事を伝えた。
医師は東京の病院を紹介し、私は東京の精神病院に入院する事となった。
だが、回復する兆しもなく両親が途方に暮れていると、医師からある提案をされる。
催眠療法だった。
全てを忘れる為の催眠療法。
しかし、時間がかかると言われた。
催眠療法が始まり、私は産まれた時からの記憶が徐々になくなった。
それを見ていられなくなったのか母親は父親に離婚を告げた。
そうして、治療が終わったのが中学校に入る少し前だった。
それを話し終わった母親は震えていた。いや、私と車に乗った時から震えていたと思う。
私は家に帰って改めて父親に感謝した。
そんな父親に恩返ししようと、高校へは行かず、働いた。
私が20歳頃、ある男性が告白してきた。同じ会社の先輩だった。
最初は断っていた。
父親にも相談したが、父親は付き合いなと言っていた。
何度も諦めずに告白してくれていたので、とりあえず食事でもという事になった。
何度かそうしているうちに自然と付き合うようになり、結婚の話になった。
幼い頃の記憶がない私が果たして母親になれるか不安だったが、押し切られるように結婚した。
そして、男の子を産み、続いて女の子を産んだ。
そんな頃、父親は病の為亡くなった。
悲しみにくれながらも子供達の相手をしていた時、
娘の傍らに立つ若い男性がいた。
懐かしいような怖いような...
旦那に相談しても取り合ってくれない。
だが、その男性はどんどん娘に近づいている。
私は母親に連絡をとった。
すると、何か心当たりがあるのか、すぐに荷物をまとめてうちに来いと言われ、すぐにそうした。
旦那から「もうお前の妄想には付き合えない」と、離婚を切り出された。
正式に離婚して母親の元でお世話になった。
母親の知り合いに住職さんがいて相談にのってもらい、娘に近づいていた男性は消えた。
息子が15歳になった年に母親は末期の癌に侵され余命半年と言われた。
私は母親の元へ通った。
しかし、余命より2ヶ月早く危篤状態になった。
母親にお礼を言っていた時、母親は酸素マスクを外しこう言った。
「私はお前が見つかった時からお前が怖かった。お前があいつを殺したんだろう...」
それが最期の言葉となった。
記憶がないからわからない。が、母親はずっと私を疑っていた。
不可解な死をとげた犯人。
その死体の傍らにいた私。
真実は闇の中...
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