
長編
引っ張る声
匿名 2017年3月26日
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一緒に暮らしていた祖母が倒れ急遽入院する事になった。
幸いにも祖母は軽い打撲だけで数日検査のために入院するだけで済んだが、病室に見舞いに行った時、祖母から聞いた話である。
「おばあちゃんまだ体痛い?」
私がそう尋ねるとベッドの上で寝ていた祖母は、まるで目覚めたばかりの時のような、掠れてしわがられた声を漏らした。
「もう大丈夫、心配かけちゃってごめんね」
ただの打ち身で大した事はないのだが、その時の私は病院という場所の雰囲気に飲まれ、また少し弱々しい祖母の声を聞いたからか、唐突な不安に駆られた。
「明日には退院出来るから、その時は迎えに来るね」
何となく祖母も落ち込んでいたのか、元気付けようと思いそう声をかけると、祖母は不意に表情をしかめた。
「どっか痛いの?」
「ううん、大丈夫よ。ごめんね、迎えに来るねって言われたから、何となくぞっとしちゃってね」
そこで私は、もう大分歳のいっている祖母からすれば「お迎え」とはそっちの意味に捉えられるのかと気付いた。
「病院にいるとそういう気分にもなるよね」
「そうだね、早く家に帰りたいよ」
祖母が入院するのはこれが初めてではない。
これまでも何度か別の病気や怪我で入退院を繰り返し、一番最近のものでは数年前に内臓疾患の手術の為に一ヶ月以上、入院していた事がある。
その時の弱々しくなった祖母の姿を私は今でも覚えている。
そうして、暫くの間祖母と取り留めもない話をしていると、不意に祖母が掛け布団の中からそっと手を伸ばして私に触れた。
「おばあちゃん?」
「ちょっと手を繋いでてもいいかな?寂しくてね」
「良いよ、病院はやっぱり嫌だね」
「そうだね、病院で寝ているともう次は目覚められないんじゃないかなって時々思っちゃうよ」
「今回はただの打ち身だから大丈夫だよ」
「……そうね、引っ張られなきゃ良いんだけど」
引っ張られる、という祖母の言葉に私が首をかしげると祖母は訥々とこれまでの入院生活の話をしてくれた。
かいつまんで祖母の話をまとめると、以下のような形になる。
祖母は昔から身体が弱く、小さい頃から病院の世話になる事が多かったらしい。
夜、病室のベットで横になっていると同室の患者が唐突に心肺停止に陥り、医者や看護師がそのベッドを囲んで何かをしていたり、昼間でも緊急の患者が乗せられたストレッチャーが、病院の裏手口から搬送されてくるのを見た事もあるという。
祖母はそう言った経験から、病院=最も死に近い場所という印象が強いと言った。
だから病院に何度も出入りしている自分は、時々、生きて病院を出ているのか死んで魂だけが外に出ているのか、分からなくなる時があったと言う。
「もういつ死んでもおかしくない歳だからね、入院したりすると今度こそもう目覚められないんじゃないのかなって思っちゃうのよ」
祖母はそう言って弱々しく笑った。
「それにね、今まで随分と病院に入院して来たから時々、眠る前に引っ張られそうになるの」
祖母曰く、長く病院にお世話になっていると時々、不思議な声を聞くと言うのだ。
その声というは決まって祖母が1人の時、しかし昼夜問わずに不意に聞こえてくるものらしい。
その声を初めて聞いたのはもう大分昔の事らしいが、声は「おーい、おーい」と遠くから聞こえて来て、次第にゆっくりと近づいて来ると言う。
「最初は廊下の奥から聞こえてきて、次に入院したら廊下の向かいから聞こえた事もあったわね」
数年前の手術の折には、祖母の使っていた個室の扉の外から「おーい、おーい」と呼ぶ声を聞いたらしい。
「あの声はきっと私を呼んでいるのね、早くこっちに来いって」
そう語る祖母の表情が、私には語り口に反して酷く怯えているような気がした。
次第に近づいてくる声を聞いていると、それは男の声であったり、女の声であったり、子供の声であったりとまちまちらしい。
しかし決まって祖母が1人の時にしか聞こえず、側に家族がいたり、相部屋の患者がいたりする時には声はかからないのだそうだ。
だから祖母はその声が聞こえた時は、絶対に反応しない事に決めている。
病院で誰かに後ろから声をかけられても、振り返らず、その声の主が「生きている人」なのかどうかを見極めてから、反応するように心がけているらしい。
一度、その声に思わず振り返ってしまった事があり、その時は背筋がゾッとするような冷たさが祖母のすぐ脇を通り過ぎていったような感覚になったと言う。
まるで冷たい腕が祖母の身体を、通り過ぎざまに引っ張ろうとしたように。
「だから◯◯(私)も病院で声をかけられても、簡単に反応したらダメよ。引っ張られるかもしれないから」
そう話を締めくくって、祖母はまた弱々しく笑った。
翌日、私と家族が病院へ祖母を迎えに行くと、祖母は嬉しそうに杖をついて私の腕に掴まってきた。
足腰の弱い祖母と歩く時、私はいつも祖母に腕を貸している。
祖母がよたよたと歩き始めるのに合わせて、私も足を踏み出した。
その時、不意に祖母が一瞬だけ歩くのを辞めて、立ち止まったのを私は感じた。
少しだけ顔を後ろに背けそうになって、しかし祖母はまたゆっくりと歩き始めた。
祖母はその時、声を聞いたのだろうか。
ゆっくりと近づいてくる声を。
その声は今 祖母からすればどのあたりから聞こえてくるのだろうか。
前回が病室のすぐ外だとしたら、今ではもう祖母のすぐ後ろから声は聞こえているのではないだろうか。
後日談:
- 七品です。 現在、祖母はまだまだ元気に活動しています。時々体調を崩す事もありますが、この話を聞いてから私も率先して祖母の体調を気遣うようになり、今のところ病院のお世話になるような事はありません。 声に関しても祖母曰く、入院しているとその時は気持ちが沈むから何となく、そう聞こえてしまうのかもしれないと本人は笑っていました。
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