
それは数年前のことだ。年末年始の喧騒が少し落ち着いた頃、私は実家から帰るため、地下鉄の駅へと足を運んでいた。
久しぶりに家族と過ごし、温かい食事と会話を楽しんだ後、少し寂しさを感じながらも、帰る準備をしていた。駅に着くと、予想通り人混みがすごかった。年末の帰省ラッシュが続いているため、車両は満員で、座席を確保するのは難しい。
重い荷物を持ちながら、立ち続けることに疲れた頃、やっと近くの席が空いた。急いでその席に座り、ホッとした瞬間、隣に座ったのは60代くらいの男性だった。
彼は背は低いが、しっかりとした体格で、親しみやすい笑顔を浮かべていた。私は普段あまり人と話すことが得意ではないが、何故か彼と話が弾んだ。彼の名前は田中さんというらしい。彼は大阪の方に向かっていると言った。
世間話から始まり、次第に彼の人生の話へと移った。早くに妻を失い、子供も亡くしたという話を聞くうちに、胸が苦しくなった。田中さんは、自衛官として働いていた時の思い出や、家族との幸せな日々を語ってくれた。
そして、彼は告白した。実は、今病院へ向かう途中で、癌の検査を受けるのだと。明るく話していたが、その言葉が私の心に重く響いた。彼の元気な姿からは、病を感じることはできなかった。
電車はやがて目的地の大阪に到着し、私たちは別れ際に「癌が治るといいですね」と言った。彼は嬉しそうに笑い、ハイタッチを交わして別れた。
それから数ヶ月後、私は大阪駅で偶然、田中さんを見かけた。彼は若い女性と一緒にいて、彼女を抱きしめる姿が見えた。まるで再会を果たしたかのように、彼の表情は幸せそのものだった。驚きと興奮で声をかけることができなかった。
私はその光景を見て、彼が再婚したのかと思った。しかし、さらに目を凝らすと、小さな男の子がいることに気づく。その子は田中さんに似ていて、彼の笑顔の中にどこか懐かしさを感じた。
駅の中に入っていく彼らを見送りながら、私は不安が胸をよぎった。田中さんは確か、家族を失ったと話していたのに、今目の前にいるのは幸せそうな姿で、私の知っている彼とは違うように見えた。
帰り道、私は考え込んだ。もしかして、田中さんはすでに亡くなっていて、私が見たのは彼の記憶の中の家族だったのかもしれない。あの日、彼が癌の検査を受けると言っていたことを思い出すと、彼の元気な声が今も耳に残っていたが、それは全て虚構だったのかもしれない。
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