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呪いの参拝手順
匿名 2日前
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これは、先日、知人から聞いた話だ。
その日、知人は気分転換に、少し遠くの街まで一人で出かけていた。
有名な神社や観光施設をいくつか巡り、人混みにもまれながら写真を撮ったり、おみくじを引いたりして、それなりに充実した時間を過ごしたという。
一通り見終わったころ、まだ帰りのバスまでは時間があった。
駅まで戻るには少し早い。どこかで時間を潰そうかとスマホの地図を開くと、大通りから少し外れたところに、小さな神社のマークがぽつんと表示されている。
「せっかくだし、ついでに寄ってみるか」
そんな軽い気持ちで、知人はその神社へ向かうことにした。
***
大通りを外れ、細い路地を抜けると、町のざわめきがすっと遠のいていった。
住宅街の中に、その神社はひっそりと建っていた。
鳥居は色あせ、石段には落ち葉が積もっている。
拝殿の屋根もどこかくたびれていて、所々に黒ずんだシミが広がっていた。
さっきまで見ていた観光地の華やかな神社とはまるで違う。
ここは、観光客ではなく、地元の人たちだけが静かに通うような、氏神さまの神社なのだろう、と知人は思った。
境内には、ほかに誰もいない。
風で揺れる木の葉の音と、遠くの車の走る音だけが、やけに大きく聞こえた。
「とりあえず、お参りだけして帰ろう」
そう思い、知人は拝殿の前に立った。
そのときだった。
賽銭箱のすぐ横、柱のあたりに、一枚の紙が貼ってあるのが目に入った。
A4くらいの大きさの紙で、角はめくれ、黄ばんでボロボロになっている。
近づいてよく見ると、紙の上部には大きく、こう書かれていた。
「参拝ノ手順」
その下には、びっしりと細かい文字で、
「二礼二拍手一礼」
といったおなじみの作法に続いて、この神社独自と思われる細かな手順が書き込まれていた。
たとえば──
「賽銭ヲ入レ、深ク一礼」
「二拍手ノ後、浅ク三度ヲ繰リ返ス」
そこまでは、少し変わっている程度で、特に不自然には思わなかったという。
「せっかくだし、ここのやり方に合わせてお参りしよう」
そう考えた知人は、紙に書いてある通りに体を動かし始めた。
賽銭を入れ、深く頭を下げ、二度手を叩く。
そのとき、視界の端に、次の行の文字がちらりと見えた。
「次ニ、下記ノ祝詞ヲ心ノ中デ唱エルコト」
そこには、祝詞らしき文が数行にわたって書かれていた。
知人は、何となくその通りに心の中で読み上げようとした──のだが。
「……あれ?」
途中で、ふと違和感を覚えた。
文の中に、どうにも引っかかる言葉が混じっていたのだ。
「天誅ヲ下サン」
「禍ヲ呼ビ込ム」
祝詞にしては、あまりに物騒な言葉。
神様の前で唱えるにしては、どこか黒い悪意を感じるような言葉だった。
「祝詞って、こんな感じだったっけ……?」
胸の奥がざわざわして、知人は思わず唱えるのをやめた。
そこでいったん参拝の動作を止め、もう一度、紙に目を凝らした。
さっきまで「祝詞」と書かれていると思っていた文字が、どうもおかしい。
インクがにじんでいて、はっきりとは読めない。
「祝(いわ)い」と読んでいたその一文字は、よく見ると、
横に細い線が一本、余計についているようにも見える。
じっと見つめているうちに、知人の中で、ある可能性が浮かんだ。
──これ、「祝」じゃなくて「呪」なんじゃないか。
「祝詞(のりと)」ではなく「呪詞(じゅし)」
祝う言葉ではなく、呪う言葉。
そう考えた瞬間、背筋がじわりと冷たくなった。
たとえ単なる悪質ないたずらだとしても、神社の賽銭箱の横に、
「天誅」「禍」
といった言葉が並ぶ“参拝手順”が、そのまま放置されているのは、あまりにも異様だ。
「これ、本当に、この神社の人が書いたものなのか……?」
境内を見回してみても、人の気配は一切ない。
社務所らしき建物も、雨戸が閉め切られたまま、ひっそりと沈んでいる。
さっきまで「静かで落ち着く」と思っていた空気が、
急に、重く、淀んだものに変わったように感じられた。
もし、さっき違和感を覚えずに、その“呪詞”を最後まで唱えていたら?
もし、貼り紙の指示通りに、最後の一行まできっちりと従っていたら?
──何か、取り返しのつかないものを呼んでしまっていたのではないか。
そう考えた瞬間、知人は急に怖くなって、慌てて拝殿から離れた。
賽銭箱に目をやると、入れたばかりの小銭が、やけに冷たく光っているように見えたという。
「もういい、帰ろう」
そう心の中でつぶやきながら、ほとんど逃げるように石段を下り、鳥居をくぐった。
鳥居を出たところで一度だけ振り返ると、さっきまでいた境内が、
薄暗い影の中に沈んでいるように見えた。
***
「誰が、あんなもの貼ったんだろうな」
話の最後に、知人はぽつりと言った。
あの紙は、もともと普通の参拝方法が書かれた案内だったのかもしれない。
そこに、誰かが勝手に書き足したのか。
最初から“そういう目的”で作られたものなのか。
もし、あのとき違和感に気づかず、素直に最後まで手順をなぞっていたら──
今、自分はこうして何事もなかったように話せていたのだろうか。
「気にはなるけどさ……確かめるために、もう一度あそこに行く勇気はない」
そう言って笑おうとした知人の顔は、どこか本当に疲れ切っているように見えた。
まるで、あの神社の空気を、まだどこかに引きずっているかのように。
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