
海底ケーブル敷設船の話だ。
私が乗っていたのは、太平洋の特定区域を専門に扱う中型の作業船で、甲板は潮風で常に錆の匂いがし、船内通路は揺れのたびに軋み声を上げた。エンジンルームに近い区画は常に温度が高く、夜当直を終えて戻ると、せまい寝台がまるでパンのように生温かかった。
乗組員の間には、陸の人間には話さない習慣があった。
船の後甲板、ケーブル繰り出し機のすぐ脇に、黒い鉄製の投函口がある。昔の郵便受けに似た形で、用途は今の乗員の誰も正式には知らない。ただ、一等航海士から次の一等航海士へと引き継がれる口頭の申し送りが一つある。
夜間作業が終わり、ハッチが閉まったあと、そこに紙を入れる。
「水中カメラのレンズ、塩かみで焦点不良。予備に交換しておくこと」
「ウインチのワイヤー、三番素線に初期破断。朝一で確認を」
そういう内容を書いた紙を、防水テープで巻いてから投函するのだ。
翌朝、必ず対処されている。
カメラは新しいレンズユニットに換わっており、ワイヤーは交換済みのタグが付いている。誰かが報告書を先読みして動いたような速さで。
新入りのころは検収ミスだと思った。誰かが深夜当直中に黙ってやっているのだと。しかし当直記録を確認しても、該当時間に後甲板への立ち入りを示す署名がない。機関室への申請記録もない。
誰が対処しているのかは、誰も知らない。
それでも投函した要望は、必ず朝には片付いている。
いつから続いているのかも分からない。
私が初めて乗船した時点で、古参の機関士たちは当然のようにそれを使っていた。
皆、特に解説もなくその存在を呼んでいた。
「深場の修理屋」
ある夜、ベテランのダイバーがふざけて紙の末尾にこう書いた。
「毎回助かっています。何かこちらに必要なことはありますか」
翌朝、機材ロッカーの前に紙片が置かれていた。
黄ばんだ、古い海図用紙だった。黒いインクで短く書いてある。
「銅のシャックル」
ダイバーは使い古した銅製のシャックル金具を一つ選び、投函口の前に置いた。翌日、それは消えていた。
それ以来、要望を入れるときはシャックルを一つ添える。誰が最初にルール化したわけでもない。いつの間にか全員が守るようにになっていた。
そしてもう一つ、絶対に破ってはいけない暗黙の決まりがあった。
紙に、
「あなたの正体は何ですか」
「姿を見せてください」
そういう文句を書いてはいけない。
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