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長編

迷い込んだ遭難者

しもやん 2020年9月7日
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 これはわたしが20代、まだ実家住まいのころ、入団していた消防団活動で体験したエピソードである。特定を避けるため意図的な改変は入れてあるものの、大筋では起こった通りであることを最初に断っておく。  消防団と呼ばれる組織がある。  前身は戦前の青年団にまでさかのぼる由緒正しい団体で、その活動は名前からもわかる通り、主に消火活動に携わっている。公務員で消火活動を専門に行っている消防署員とのちがいは、消防団の構成員は自治体の有志によってなされているという点であろう。  都市部にお住いの読者には想像もつかないだろうが、田舎は住民が各地に点在している割に消防署は少なく、通報から到着までにどうしても時間がかかる。火事の発生件数も高齢者が多いせいで少なくなく、出動も多い。  そうした負担を軽減するため、有志――要するにボランティアで消防活動をやっているのが彼らである(実際は準公務員という肩書があり、年収もわずかながら支給されるのだが、活動内容に比してまったく釣り合っていないので事実上タダ働きである)。  活動は消火だけではなく、堤防決壊時の防水、行方不明者捜索、操法大会の猛特訓、果ては夏祭りの交通整理にまで駆り出される始末である。おまけに軍紀は体育会系のノリがすっかり消滅した昨今の若者がただただ当惑するばかりの、ウルトラ縦社会である。当然自発的な希望者は皆無であり、各村の区長たちは毎年生贄を選抜するのに汲々としているわけだ。  わたしは25歳になったときに徴兵された。断れば懲罰的な協力金の支払いだけでなく、〈ムラ社会に非協力的な調和を乱す人間〉という烙印を押され、本人はおろか両親もまともに暮らしていくのが難しくなる。消防団入団を断るという選択肢は事実上存在しない。  前置きが長くなったが、わたしが入団させられていた組織の全貌は上記の通りである。      *     *     *  季節は秋だったと思う。残暑もすっかり鳴りを潜め、行楽に適したすがすがしい日和が続いていた。  土曜日の早朝、わたしは消防団からの招集を受けて地元の公民館に出頭した。一週間前から近所の里山に入山したまま帰ってこない登山者がおり、警察と消防署の手が足りないので捜索の協力を要請された由。分団長が全員に喝を入れ、われわれは貴重な土曜休みを捜索につぶされたことにうんざりしながらしぶしぶ歩き始めた。  捜索現場は三重県の鈴鹿山脈F岳である。この山脈は千メートルそこそこの低山連峰が南北に40キロメートルほど続く大規模な山脈で、関西圏のアクセスがよいのと三重県側の登山道が整備されているのもあり、行楽シーズンにもなれば登山者が引きも切らずに訪れる。標高が低いとはいえ、未整備の目立つ北部などは道が錯綜していたり、整備の進んでいる雨乞岳界隈でも下山方向をまちがえれば、それだけで深い谷の合流する擂鉢地獄のような迷い谷へ降りてしまうこともある。道迷いが深刻化して遭難するケースも多い。  われわれは提出されていた登山届をもとに、周辺の登山道をしらみつぶしにする計画を立てた。捜索班をふたつにわけ、登山届に記入してあったルートには多数の人員を配置し、辿ったかもしれない別ルートには少数を割り当てる。わたしは後者のグループだった。  主力部隊のA班は表道と呼ばれる尾根ルート、われわれ少人数のB班は裏道と呼ばれる沢ルート。分団長たちが近くの公民館でお茶をすすっているなか、若者たちはいっせいに入山した。  当日は外せない用事でこられなかった――これはサボりの婉曲的語法である――連中もいたため、われわれB班はたったの三人、おっかないお偉方や威張り散らした先輩もいない。消防団活動としては例外的な緩い雰囲気だったのを覚えている。  F岳はこの界隈に住んでいる人間であれば、数回くらいは必ず登っている地元憩いの場とも呼ぶべき山だ。標高は千メートルと少し、山頂まではだらだら休憩を入れても三時間以内で着く。頂上付近の広大なカレンフェルトの台地を目的に毎年相当数の登山者が訪れる人気山岳である。当然三人ともルートは知悉していた。迷い込みそうなポイントでは逐次立ち止まって声かけを行い、山腹や支沢に分け入って探してはみたものの、遭難者は見つかることなく避難小屋に着いてしまった。  避難小屋では先着していたA班の連中が弁当を広げて思い思いに雑談している。わたしたちもそれに加わり、情報を交換し合った。もちろん彼らも発見にはいたっておらず、当初の予定を変更して別ルートを使って下山したのではないかという意見も出ているとのことだった。  F岳は三重県側から以外にも、滋賀県側からのルートが(地図には記載されていないけれども)秘密裏につけられているし、山頂から南へは鈴鹿山脈を縦走できる稜線ルートもつけられている。登山者が登山届通りに行動しないのはよくあることだ。そうなると捜索範囲が広すぎて、とてもいまから計画を変更するのは無理である。  結局なんの収穫もないまま、撤収することになった。下山時には上から下を見降ろすので視野が広がり、登りでは目につかなかった点にも気づくことがある。とはいえ2合目まで降りてきた時点でなんの発見もなく、わたしたちは遭難者の発見を完全に諦め、貴重な土曜日休みを堪能すべく雑談に花を咲かせていた。  最初に気づいたのは唐沢だった。登りでは気づかなかったのだが、支沢が合流してくる出合に黄色い布のようなものがが落ちている。  急いで駆け寄ってみると、それはまぎれもなくスリングだった。スリングというのはロッククライミングで使うアイテムのことで、カラビナに通してプロテクション確保に使用する命綱的なアイテムだ。F岳にはもちろんそんなものを使う難所はないけれども、戦後に山を始めたベテランはどの山へいくにも意味もなくカラビナやスリングをじゃらじゃらとザックにぶら下げたがるご仁がいる。  スリングは真新しい蛍光イエローで、状態から見ても落ちてからそれほど経っていないようだ。もしかしたら正規の沢ルートから外れて、支沢へ迷い込んでしまったのかもしれない。スリングの落ちていたルート外の沢を見上げると、堆積した落ち葉が層をなしており、すぐに枯れ沢であることがわかった。拳大の岩が転がっているガレ場で、足元はかなり悪そうだった。  三人で相談の末、とりあえず支沢を遡行してみることになった。するとすぐに第二の落し物が見つかった。紫色のカラビナが落ちていたのである。これも経年劣化のようすは見られず、落とされてからそう日が経っていないようだった。  そのあともまるでわれわれを誘い込むかのように登山用具が一定間隔で落ちており、それがなんともいえず不気味だった。最初の「見つけた!」という高揚感は次第に鳴りを潜め、なにか人知を超えた魔境へ足を踏み込んでしまっている気分とでもいおうか。  やがてそれは見つかった。沢の出合から外れて道なき道を辿ること二十分、遭難者の遺体を発見したのである。それはまるで絶望の果てに命を落としたかのように、大きな岩に腰かけてうつむいたまま往生を遂げていた。  われわれは言葉を失ってしばし、呆然と立ち尽くしていたと思う。やがて唐沢がてきぱきと指示を出してくれて、わたしはようやくわれに返った。現場保全のために一人がここに残り、もう一人が伝令兼道案内としてA班のお偉方と警察・消防を連れてくることになった。最後の一人は沢の分岐点に立ち、ケルンとしての役割をまっとうする。  じゃんけんで勝った者から好きな役割を選べるということになり、わたしは最初の一回で二人に負けてしまった。もはやどちらが勝とうが同じことだった。      *     *     *  山中に一人取り残されるというのは想像以上に心もとない。  時刻も15時を回り、陽はだいぶ傾いている。場所は2合目から二十分程度登った地点なので、休憩なしで降りれば三十分もあれば人里へ出られる。風がひっきりなしに吹き渡り、ときおり鹿らしき動物が近くを駆け抜けていく。そしてかたわらには遺体がある。まともな精神状態を保てというほうに無理がある。  何度も腕時計で確認するも、そのたびに一分も経っていないことを知って愕然とさせられる。そんなやり取りを何度もくり返すのにうんざりしたわたしは、意味もなくあたりをぶらぶら歩いて気を紛らわせていた。すると遺体から少し離れたガレ場の岩の上に、小さな手帳が落ちているのに気づいた。ハンディタイプの小型で、ワイシャツの胸ポケットに入ってしまいそうなほどのものだった。ベテランの山屋なんかは天気図をラジオ放送から流れる情報を頼りに自分で書いたりする。きっと彼もそのたぐいだったのだろう。  岩は凹凸の少ない平らなもので、この上でなら字が書けそうなあんばいだった。わたしは好奇心に勝てず、それをめくってしまった。最初のページには天気図ではなく、次のような文言が記してあった。  この魔の山に迷い込んで二日経った。自分の正気を保つために今日から記録をつけようと思う。  わたしは首を傾げた。F岳を言うに事欠いて魔の山とは。ちょっと大げさな気がする。ページをめくってみる。※以下の記載内容については当方で適当に内容を補完していることをあらかじめ断っておく。原文は手帳の水染みや破れによってところどころ判別不能な部分があった。 10月15日 晴れ  迷い込んで2日め。地形図を参照して現在地は特定できている。2合目から分岐する支沢に入ってしまったのはまちがいない。ここを降りれば出合に着いて本道に合流するはずだ。なぜ戻れないのか理解できない。リングワンダリングというやつだろうか。しかし何度もコンパスで方角は確認している。東に歩いているはずだ。気づくと自分が目印として落としたスリングのある地点に戻っている。気が狂いそうだ。  日記は神経質そうな細かい字で、小さな手帳にびっしりと書いてあった。罫線からはみ出すことなく軸のずれもない。内容はわたしが疑問に思っていたことそのものだった。F岳の裏道2合目まで降りてきているのに、なぜ彼は下山できなかったのか? たとえ登山道外の支沢にいるにしても、方角さえ見当をつけて強引に降りてしまえばふもとは目と鼻の先である。雨乞岳の北側のようにいくつもの谷が合流する鈴鹿深部ならいざ知らず、適当に沢なり尾根なりを辿って降りてしまえば助かったはずだ。まして日記の文面や装備からして、彼は相当の経験を持つ一流の山屋のように思える。いったいなにが起きたのだろうか。 10月16日 くもり  今日も下山を試みるも、また例のスリングが落ちている地点に戻ってきてしまった。これはいったいどういうことなのだろうか。自分は絶対に現在地の支沢を東に歩いて下っていた。けれども気づくと沢を登っている。これは意図的に180度方向転換しなければ起こらないはずである。もちろん自分はそんなことをした覚えはない。ビバーク用のツェルトで夜をしのいでいるが、寒さが身に染みる。食料も残り少ない。水だけは豊富にあるが、食料が切れれば遠からず体力の低下で動けなくなる。明日中には下山しなければ危ない。 10月17日 晴れ  ついにつながらないまま携帯の電池が切れた。F岳2合目でつながらないというのもおかしいが、どこへかけても終始ホワイトノイズしか聞こえないというのはどういうことなのか。おかけになった電話番号はというアナウンスも流れなかった。それどころかもっと恐ろしいことに気づいた。自分の持っている地形図と周りの地形に齟齬がある。自分のいる(と思っていた)支沢が仮に2合目付近の出合から派生した沢であるなら、両どなりに顕著な尾根がなければならない。だが尾根は幅の広い緩やかなものだ。地形図の記載ミスであることを祈る。そうでなければ自分は完全に現在地をロストしていることになる。  背筋に悪寒が走った。慌てて持っていた地形図を参照してみる。しかし日記のような齟齬は見られなかった。両どなりには顕著な尾根が屹立しており、等高線の詰まり具合も現場と一致している。彼はパニックのあまり読図を見誤ったのだろうか。 10月18日 くもり  今日も一日中ふもとを目指して歩いた。歩けば歩くほどふもとが遠ざかっていく気がする。気づくと例のスリングが目に飛び込んでくる。無意識のうちに転回して歩いている可能性があったので、コンパスを睨みながら歩いてみた。針はずっと東を指していた。それでもスリングの地点に戻ってきてしまう。食料が切れてまる一日経つ。もう腹が減って動けない。助けを待ったほうが賢明かもしれない。 10月19日 小雨  寒い。体温がうばわれていく。とにかく寒い。 10月20日 くもり  自分はたぶん、死ぬまでこの山から出られないのだと思う。木々がざわめいたとき、確かに聞こえた。何者かの笑い声を。 10月21日 雨  さむい。さむい。さむい。こわい。  日記はここで終わっていた。雨による低体温症が死亡原因のようだった。わたしは手帳を投げ捨てた。風にたなびく木々の隙間から、何者かの笑い声が聞こえたような気がしたのだ。それにさっきまで地形図通りだった尾根が、ちょっと目を離した隙にまるで異なるかたちに変わってしまったようにも思えた。      *     *     *  警察や消防がきて、あとは行政の仕事になった。われわれは任務を終えて山を下り、公民館でお茶をすすっていたお偉方のありがたい訓示を受けてから敬礼し、解散になった。分団長は手柄を立てられたのでいたくご機嫌で、その日はお偉方だけでコンパニオンを呼んでの呑めや歌えやの大騒ぎをやらかした由。        *     *     *  その後、知り合いの消防署員に聞いた話では、遭難者はリングワンダリング(=輪形彷徨:方向感覚を失って一定の範囲内をぐるぐるさまよう現象)による道迷い遭難ということで処理されたらしい。警察としてはそうするよりなかったとは思うのだが、わたしはいまだにどうしても納得できない。  コンパスも地形図もその他ビバーク用アイテムも持っていて、天気図すらラジオから読み取って書けるようなベテランが、ただ東に向かって歩くだけの単純な下山をこなせないわけがない。事実、日記でもコンパスを使って方角を定めた下山を試みている。それでもなぜ降りられなかったのだろうか。  以下に記すのはわたしの推測であって、まったくの私見であるのをあらかじめ断っておく。  山は異界の入り口だとよく言われる。入山してそのまま戻ってこない登山者も毎年いる。彼らは異界とやらに消えてしまったのだろうか。ではその異界というのはいったいなんなのだろうか。  わたし自身よく山に登っているのだが、そんなときふと、歩きなれた道に違和感を覚えることがある。この峠はこんな風景だったろうか。このピークから伸びる尾根の踏み跡はこんなに薄かっただろうか、と。  当たり前だが、山にはめったに人が立ち入らない。もの好きな登山者がときおり歩く程度で、大部分の時間は人のいない無人の山岳地帯が茫漠と広がっている。量子力学の哲学的解釈では、人間が波動関数を観察によって収束させているという説がある。人間が物事を見た瞬間、それが契機になって重ね合わせになっていた事象が確定するという例のたわごとである。  それでもわたしは思うのである。山には人間がほとんど訪れない。観測して波動関数を収束させる媒体がいない。そんなときの山々というのはどんなふるまいをしているのだろうか。ぐにゃぐにゃとありうるすべての尾根や沢が同時に重なり合う、量子力学的な風景なのだろうか。  彼が迷い込んだのは、未観測のたゆたう山だったのだろうか。

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