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長編

出土した災厄

しもやん 2020年3月21日
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ったが和暦に改めた)。支那というのは戦前の中国の呼称である。わたしはどうやら祖父がかたくなに守り通してきた戦中の行動記録を見つけたらしい。  わたしは時間を忘れ、夢中で読み漁った。以下に内容を抜粋して掲載する。 ※年号や記述から推察すると、祖父は蒋介石率いる国民党討伐作戦に従事し、中支那方面軍のいずれかの師団に所属していたと思われる。誰の指揮下に入っていたのかまでは判別できなかった。      *     *     * 昭和12年11月5日  上海に上陸す。敵兵の攻撃散発的なり。発砲されるも的はずれること多く、照準の狂った粗製乱造品である由。隊の雰囲気、楽観的なり。 昭和12年11月9日  攻略速度めまぐるしく、帝国陸軍の実力を再認識するにいたる。支那軍、上海からことごとく遁走す。上海は陥落、祝賀会が開かれる。羽目を外して痛飲しすぎる者多数。自分も明日の朝、二日酔いは必定なりと覚悟す。 昭和12年11月11日  遁走した国民党軍の処遇について、隊で意見が噴出す。追撃を敢行し、国民党軍を完膚なきまでに叩きのめすのを信条とする支那膺懲派、あくまで不拡大方針に忠実な穏健派。自分は前者に与して激論を戦わせた。いやしくも帝国軍人であるならば、無辜の日本人を殺害した支那人を許すなどとうてい考えられぬ。 昭和12年11月15日  上層部での議論、いまだ決着せず。われわれは上海に足止めされ、無為の日々をすごす。国民党軍を膺懲するは必定なり。汪兆銘こそが中国を支配する真の傑物である。 昭和12年11月25日  戦闘に参加しており、日記を書くのが遅れてしまった。われわれは支那軍を追って南京を攻略すべく動き出している。無錫市攻略では壮絶な市街戦となったが敵の大多数はすでに退却、町は徹底的に略奪されていた。同胞の物資を奪う神経が自分にはわからぬ。      *     *     *  蒋介石の国民党軍は追ってくる日本軍の追撃を逃れ、ヒット・アンド・アウェイ戦法で真正面からは戦わず、中国奥地へと西へ落ち延びる戦略をとっていた。そうすることにより日本軍の補給線を延長させ、息切れを狙ったものと思われる。当の国民党軍はいく先々の町で食料を奪えばよいので、兵站問題は解決する。  日記に出てくる「徹底的に略奪されていた」というのは中国軍のお家芸である。こうした蛮行はなにも日中戦争当時に始まったものではなく、それこそ有力豪族の跋扈

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  • こわい
    ブースター
  • 小説にして商業出版できるくらいレベル高い。歴史に絡めた、圧倒的にリアリティある話は凄いの一言です。
    匿名
  • レベル高いけど、分かりやすかった。高レベル投稿を期待します。
    防空頭巾
  • 史実に絡んだ怖い話、ちょっとレベルが高いですね。日記の空白期間、何が起こっていたのか気にはなります。もあ30年以上前に他界した私の祖父も満州や華南などの戦地に赴いていて、その当時の話を子供ながらに興味深く聞いたものですが、当時の自分に歴史的な知識と見識がもっとあればいろいろ聞けたのにな、と今更ながら残念に思っています。
  • このお話、はっきり言って怖いのか何なのか わからないんですが。解説が多いです。 もっと分かりやすく書いてくださいね。
    しゆか
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