
長編
最後の乗客/タクシー霊の正体
匿名 2024年11月7日
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私は小学一年生時からこれまで、心霊体験数は二桁あるが、中でも特異な体験は大人になってから、去年、怪談ライブ等でのオープンマイクで語り始めるまでは、他人に話さなかった。それは噓つき呼ばわりされ、信用を失うから。
例えばのっぺらぼうの目撃。これを大人になって他人に話すと
「そんなものは想像上の妖怪だから、実際にいる訳ないやろ。」と馬鹿にされる。しかし私の周囲には二人、同様の体験をした者がいる。その内、一人はテレビ局の記者。
今回の話に出てくる石仏の「怪異現象」も同様。これもまた、近県在住者の中に、同様の体験をした者がいる。
私が言いたいのは、心霊現象というものは多種多様で、自分が体験するまでは信じ難いようなものもある、ということ。
昭和40年代半ば、あるタクシー運転手が深夜、O県T市のN池畔で二人の若い女性を乗せた。深夜だったため、その客がその日最後の乗客となった。周囲は店等何もない所で、しかも深夜だったため、最初、運転手は、こんな所にこんな時間帯、若い女性がいるなんて、と、やや不思議に思っていた。
行先はO市に当時あったO県立短期大学だったため、運転手は彼女らを短大生だと思ったという。
その二人は何だか顔色が悪いように感じた。運転手が話しかけてもあまり返事を返さない。
が、運転手も一日の終わりで、一定の疲労もあったため、そんなに気にせず、運転していた。
大学の正門近くに来た時、運転手が「ここでいいですか。」と、後部座席を振り返ると、誰もおらず、シートが濡れていた。
二人の姿は深夜、それ以降、N池付近の国道で時折見かけられるようになり、時にはタクシー以外の一般の車を、手を挙げて止めることもあった。
タクシー業界ではやや噂になってきたこの二人もまだ、一般にはその存在があまり知られていなかった。一般車の場合は、優しそうな中高年が運転しているケースが多かった。
止められた運転手は、彼女らに何事かと訊くと、帰りが遅くなったため、タクシーもなかなか捉まらないから、O短大まで乗せて行って欲しい、という。
そして短大の正門前に着くと二人は
「ありがとうございました。」と礼を言い、正門へと向かったのだが、正門から入った時点で姿がすぅーっと消えたという。
他にも深夜、N池畔では霊を目撃したというケースが複数あり、これらの霊は昭和44年3月某日、午前7時頃、N池側の国道を東から西に向かっていた、T市からO市方面行きの路線バスの乗客だと言われる。
そのバスには20人ほどの乗客が乗っていたのだが、丁度N池横に差し掛かった時、対向車のN運送のトラックが、バスが走行している車線にはみ出してきて、正面衝突した。
その衝撃でバスは国道から約8m下のN池に転落、9人が溺死する惨事となった。その中にO短大を受験するために乗車していた二人の女子高生がいたという。
材木を運送していたトラックは転落を免れ、運転手は無事だった。居眠り運転だったという。
私は二人のO短大を受験予定だった女子高生に注目した。もしこの二人が本当にタクシー霊だったとしたら、タクシー霊の元祖だと言われてきた、京都の深泥池の霊よりも古いため、本当のタクシー霊の元祖となる。因みに深泥池の霊の最初の出没日は昭和44年10月6日。
そこで溺死した9人の乗客の中に本当に二人の女子高生がいたのか否かを確かめることにした。それには、当時の新聞を県立図書館で確認すればいいのだが、図書館はO市の中心市街地にあり、且つ、窓口で必要事項を用紙に記入する必要があるため、やや手間がかかる。
手っ取り早いのは、池畔に遺族が建立したY地蔵横の慰霊碑を確認すること。それには9人の氏名が享年と共に刻字されている。そこに18歳の二人の女性の名があれば、その二人がタクシー霊ということになる。
午前6時台後半に二人はバスに乗車したものと思われるが、この時間帯は通常の通学時間よりも早いため、高校生の乗客は少ないものと睨んでいた。
ネットには池の名称は出ていなかったが、地区名と池の規模(縦50m、横60m)を頼りに住宅地図を調べるとN池以外にはない、という結論に至った。
ネットで地蔵と慰霊碑について挙げているのは一件のみ。碑の背後は竹藪だった。そこでグーグルストリートビューで確認すると、池の南西隅の竹藪に向かう歩道があった。
次の週末、T市に向かったのだが、まず同市のUFO事件現場を確認して、背後の山に登ったため、N池に到着したのが夕方になってしまった。
その日、天気予報では夕方から雲が多くなり、夜、天候が崩れる、ということだったが、国道から池への階段を下りる頃には、厚く、やや暗い雲に覆われていた。
夏のこの雰囲気は嫌な気分がする。と、いうのは、前述ののっぺらぼうを目撃した時も同様の天候だったから。生まれて初めての心霊体験だっただけに、強烈な印象が残っている。
ストリートビューで確認した歩道の先の竹藪に慰霊碑があるものだと思っていたが、竹藪の手前で藪が深くなり、藪漕ぎして竹藪の中に入った。
そこには広場があったが、地蔵も碑も見当たらない。何かの台座とコンクリート片はあったが、これが地蔵と碑の跡なのだろうか。それとも墓石跡なのか。
落胆して来た道を引き返していると、池の北東隅付近にも竹藪が見えた。池畔で地蔵と碑があるとすればあそこしかない、と確信し、階段下まで戻ると、そこからその竹藪方向にも歩道があった。
「ここで間違いないはず。」と、その竹藪に入るとあった。錫杖を持った地蔵と碑がある。碑の人名を確認すると、18歳の女性の名は二名だけ。このIとYという二人がまさしくタクシー霊の少女。
思わず「やった!この二人に間違いない!」と声を上げてしまったのだが、その瞬間、急に曇り空が一層暗くなった。
夜になる前に雨が降り出すかも知れないと、そそくさと地蔵と碑の写真を撮り、階段口へと引き返して行ったのだが、途中、道にはみ出していた藪に片足を取られ、転んでしまった。
トゲ混じりの雑草が足首に絡みつき、なかなか取れない。その内、曇り空は更に暗くなってきた。
「夏の夕方なのにこの暗さは異常や。」と思っていると、池の奥の方から何やら聞こえてきた。
「・・・て・・・て・・・」微かな声だから何を言っているのか、よく聞き取れなかったが、突然、先程行った広場のある竹藪が、風もないのに「ザザーッ」と音を立てて揺れた。
すると次の瞬間、その竹藪から人影が次から次へと出てきた。通常なら「人影」ではなく、「人」と認識できるのだが、異常な暗さから、そのような見え方だった。
異常な暗さと言えば、7、8年前、愛媛県の鞍瀬渓谷の最奥の滝へ行った時も同様だった。まだ15時半だったにも拘わらず、厚い雲が出てきて、ヘッドランプがなければ道の判別ができないほどだった。
その人影は透けているように見える。しかも歩いている、というより、ゆっくり浮いて移動しているように思えた。
段々声もはっきりしてきた。
「・・・て・・・って・・・連れてって・・・」
早く階段を上がって国道に出たいのだが、足に絡まった雑草にトゲが混じっているせいで、すぐには外せない。
そうこうしていると、今来た碑の方向から池に、「ドボン」と、何か重量のあるものが落ちたような音がした。
その音に一瞬、ビクッとなったが、それから池に波立つ音がした後、岸の藪を掻き分け、何かが這い上がってくる音がしてきた。
「な、何や?こんな狭く険しい藪に野犬や野良猫がいる訳もないし・・・。」
と、思っていると、その「這い上がる音」に「シャン、シャン」という金属音が混じり始めた。
「こ、この音は寺等で聞いたことがある。これは錫・・・・。」
と、次の瞬間、その音の主が藪から歩道に這い上がってきた。
「ば、馬鹿な・・・。」
それはまさしく、先程見た、慰霊碑の横に建つ、錫杖を持った地蔵だった。地蔵が錫杖を立てながら、藪から這い出て来たのだ。
反対側に国道へ上がる階段があるが、階段は池の北西隅にあり、この道と人影が迫って来る道との接点になっている。すぐ下は池、国道側は絶壁の擁壁。つまり、逃げ場がない。
焦れば焦るほど、足首に絡まった雑草は解けない。地蔵は歩道に出てからも這ったまま、無表情でこちらに迫って来る。池の南西隅の竹藪から出て来た人影も道の真ん中ほどまで来ている。
「くっそー!」
仕方なくトゲの上から雑草を掴み、靴も脱ぎ、何とかソックス毎、雑草を振り解いた。そして靴を手に持ち、片足が裸足のまま階段まで走り、国道へと上がった。
そして池の方を見下ろすと、人影はなく、地蔵の這う音もしなくなっていた。
もしあのまま、地蔵と人影群に挟み撃ちにされていたとしたら、私はどうなっていたのだろうか。
そう思いながら、国道から池に向かって合掌するのだった。
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