
中編
アパートの小さな同居人
あい 2019年8月26日
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大学生も半分過ぎた3年の春、単位を落とし過ぎた俺は自身の遅刻癖を通学時間のせいにして、親を必死に説得して遅めの一人暮らしを勝ち取った。
とはいえ我が家は裕福なわけではなく、仕送りもろくに貰えるアテはない。出費は少しでも抑えたほうがいいと、事故物件でもなんでもいいから家賃の安いところを端から内見をしていた。
その中にあったのが、家賃2万代で1dkのロフト付きという破格のアパート。事故内容も、前に住んでたおばあさんが老衰で孤独死したというもので、自殺や殺人でないならまぁいいか、とそこに住むことに決めた。
新居で過ごすようになってからひと月ほど経った頃、俺は変な物音を聞くようになった。
俺がロフトにいると、下の部屋から子供の声が聞こえる。
五.六歳くらいの男の子が「ぶーんぶーん」という声と、おもちゃの車を動かすようなタイヤのガリガリ音。はじめこそ怖かったが、貧乏大学生には引越しをする余裕もない。聞き間違いだと自分に言い聞かせ、気にしないように努めながら過ごした。
何ヶ月か経つと、最早その声にも慣れてしまった。声がするのは決まって昼間から夕方前の明るい時間なのと、特に実害もなくその声も楽しそうであったため、もはや小さな同居人がいるかのような気持ちになってきた。「あー、今日は車で遊んでるな」「今日はコマでも回してるのかな」などと考えながら声を聞くのが日課となるほどであった。
だがある日、夕方で止まるはずの声が18時を過ぎても続いていた。いつもは遊んでいる男の子の声は、しきりに「まだかなー、まだかなー」と呟いている。外も暗くなっており、「冷静に考えると結構怖い状況だよな……」などとぼけっと考えながらロフトでレポートを書いていたその時、玄関の開く音がした。
おかしい。鍵は閉めたはずである。友達を呼んだ覚えもないし……などと焦っていると、誰かがこちらに歩いてくる音がする。もし不審者や泥棒なら、今降りて鉢合わせるのはまずい。俺がロフトで息を殺していると、その足音は俺(と声だけの男の子) のいる部屋の扉を開けた。
「来た……!」と思った瞬間、男の子の声が「あ!帰ってきた!」と叫んだ。
「おかえりなさい!」「あのね、今日は誕生日だから待ってたの!」と楽しそうな声。次の瞬間、明らかになにかを殴ったような鈍い音がした。「ごめんなさい、ちがうの」「よろこんでくれるかなって」「ごめんなさい!もうねるから!ごめんなさい!」と男の子の声が続く。次第にその声は絶叫に変わり、「ごめんなさい!ごめんなさい!ごめんなさい!!」「ゆるして、もうしない!!!ごめんなさいいい!!!!!」という声と不規則な殴打の音が部屋に鳴り響いた。
俺は死ぬほどビビってロフトで縮こまっていたが、ふと「このままでは男の子が死んでしまう」と思ってしまった。毎日のように声を聞いていた男の子の絶叫にいてもたってもいられなくなり、俺は「やめろ!!!!」と叫びながらロフトを駆け下りた。
部屋には誰もいなかった。俺が降りた瞬間、殴打の音と男の子の叫び声は鳴り止んだ。
自分の心臓の鼓動がうるさいほど聞こえるなか呆然としていた。声がやんだ安堵が半分、恐怖が半分で床にへたり込む。男の子は助かったのだろうか。それとも……。そう思いながら無音の部屋でため息をついたその時
「チッ、やっちゃった」
耳元に、若い女の声でそう聞こえた。
硬直して動けない俺の横で、ズルズルと何か重いものを引きずるような音が動いた。
その音は玄関まで続いて、扉の閉まる音と共に消えた。
次の日の昼、男の子の遊ぶ声は変わらず聞こえた。それは俺が初めて聞いた時と同じ、「ぶーんぶーん」という声と車を動かすようなタイヤのガリガリ音であったため、俺は二度目を聞く前にそのアパートを後にした。
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