
長編
誘(いざな)いの腕
匿名 2017年5月5日
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初めて投稿します。
実体験ですので、怖くないかもしれませんがご容赦ください。
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私が小学校高学年の夏休み、友達(A)と2人で、私の祖父母の家にお泊まりに行った時の話です。
この頃の私たちの遊びといえば、田舎ということもあり、川で魚をとるか、山で昆虫採集をするかがメインでした。
祖父母の家に着くなり、
A「魚いっぱいとろうぜ!」
私「この小川、鰻もおるらしいよ!」
A「まじか!はよいこっ!」
私「おう、はよ着替えていこうぜ」
と盛り上がっていたのですが、
そのとき祖母が
「今はちょうどお盆やけん、川にいったらいけんよ」
と盛り上がっている私たちに言いました。
私たちの地域では、お盆になると、川どころか、海に入るのもダメなことだとされています。
それは亡くなった人の魂は、お盆になると、川・海などの「水に還る」と、昔から信じられているからです。
しかし当時の私たちは、遊びたい盛りでもあり、そんなのは大人が作った作り話か、単なる迷信くらいにしか思っていませんでした。
そんな祖母の忠告もあり、
私・A「わかっとるよー」
と生返事をし、離れに移動しました。
A「お前のばあちゃん、ああ言いよったけど、どうするー?」
私「昼間いったら絶対バレるよな」
A「え、じゃあ、、、夜?」
私「うん、夜しかなくない?」
A「でも夜やと暗くて見えんよね」
私「そうやねー、懐中電灯は、ばあちゃんらあしか場所分からんし、聞いたら怪しまれるよなー」
私「あ、松明!松明つくろ」
A「それいーやん、昼間のうちに準備しとこーや」
ということで、2人で準備をはじめました。
適当な薪を倉庫からこっそり調達し、新聞も拝借し、ライターは離れにあったものを使おうということになりました。
当時の私たちの松明の知識といえば、このくらいしかなく、松ヤニが必要だとか、そういったことは完全無視の簡単な準備でした。
そして、夜になりました。
深夜0時をまわった頃、母屋の電気も消えて時間もたったので、2人で祖父母が寝たかどうかを確認にいきました。
母屋に入ると寝息も聞こえていたので、
A「やった、川いこっ!」
私「おう!」
意気揚々と松明の準備をはじめました。
今思うと、夜遊びと火遊びって、完全に悪い子ですね。笑
私が松明とバケツを、Aは水中眼鏡、モリ、鰻バサミを持ち、音をできるだけ立てないように、川に向かいました。
この家の前の小川は、浅いところは20cmくらいしかないのですが、深いところだと2m近くある、かっこうの魚捕獲のポイントでした。
何回も遊んだことがある私は、ポイントを知っていたので、そこをAと一緒に見てまわりました。
そして彼此、1時間ほど経過した頃、
A「全然おらんねー」
私「確かに。お盆はおらんのやろか?」
A「お前までそんな迷信みたいなこと思っとるん?」
私「いや、そういうわけじゃないけど、、、」
このとき私たちの周りは、松明の明かりと、お盆の期間中灯っている灯籠の明かりと、月明かりしかなく、ちょっぴり心細くなっていたんだと思います。
A「とりあえず、あの1番深そうなとこ最後に見てみようぜ」
私「分かった。じゃあそこにおらんかったら帰って寝よ?」
A「おっけい」
あとから聞いた話ですが、このときのAは心細さなど微塵も感じておらず、ただ魚が獲りたい一心だったそうです。
そして私たちは50mほど、上流にのぼり、1番深そうなポイントまでやってきました。
A「じゃあちょっぴり潜ってくるわ」
私「溺れるなよー」
A「溺れたら、助けてな!」
と冗談をとばしながら、Aは潜っていきました。
私は1番深いところまではいけないので、ギリギリ足の立つところで、精一杯松明を上にあげ、見守っていました。
(バシャアっ!)
私はいきなり発せられた水音にびっくりし、危うく松明を落とすところでした。
Aがいきなり浮上してきたのです。
私「びっくりするやんか!ゆっくり上がってこんと、音でバレるかもしれんやろ!」
と怒ったようにAに言いましたが、
そんな私の言葉を無視するように、
A「おい、めっちゃでかそうなやつおったで!」
私「やつ、、、?」
A「よく見えんかったけど、青白っぽくて、長いやつが、岩の奥に見えた!」
私「鰻やろか?」
A「分からん、眼鏡曇ってよう見えんかったし」
この頃の水中眼鏡はあまりできの良いものではなく、すぐに曇ってしまうもので、至近距離までいかないと、なかなか見えませんでした。
A「もっかい潜って見てくる」
私「おう!」
そして再びAは身を沈めていきました。
と思いきや、数十秒もしないうちに上がってきて、
A「はぁ、はぁ、はぁ」
息を切らして上がってきたAに
私「すぐ上がってきて、どしたん?」
A「は、はよ帰ろ!」
私「なんで?疲れたん?」
A「いや、そうじゃない、けど、、、う、、う、、」
このときAは立ち泳ぎをしながら、私のほうに向かっていました。
私「う?やっぱ鰻おったん?」
A「う、腕!!」
(ゴポッゴポッゴポぉ)
私の元に泳いできていたAがいきなり、水中に沈みました。
いや引きずり込まれたという表現のほうが正しいかもしれません。
それと同時に私の持っていた松明がいきなり、ふっと消えました。
一瞬のできごとに焦った私は、消えた松明とバケツを投げ捨て、
私「Aー!Aー!大丈夫か!?」
と大声で叫びながらAの沈んでいったほうに急いで近寄っていきました。
Aの姿はすでになく、水中に無数の青白いものが見えていました。
(ゴポッ)
(ゴポッ)
(ゴポッ)
青白いものが水中から、その姿を現しはじめたのです。
(や、やばい!引きずり込まれる!)
そう思った私は、無我夢中で走りました。
しかし水中ということもあり、水の抵抗と、藻のついている足元の石のせいで、上手く走れません。
そのとき、
(ズルっ)
(ザパァーンっ!!)
私は石で足をすべらせ、川面に叩きつけられました。
そして急いで水面に出ようとしたとき、再度水中に引き込まれました。
手で水を掻き、足もバタつかせましたが、あと数10cmのはずの水面に届きません。
それもそのはず。
このとき私の足には、無数の青白い腕が絡みついていたのです。。。
(もう、無理かな)
(俺もAみたいに引きずり込まれるんかな)
このときの私は怖さよりも、諦めと、申し訳ない気持ちでいっぱいでした。
(A、ごめん。俺のせいで)
(ばあちゃん、じいちゃん、ごめんな、、さ、)
ここで私の意識は途切れました。
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「◯◯!!◯◯!!」
*◯は私の名前
そう呼ぶ声で、私は目を覚ましました。
(ゆ、夢、、、?)
そう思った私は次の瞬間、身体に走る痛みで、現実に引き戻されました。
両足には包帯がぐるぐる巻きにされており、地肌を見ることができません。
無意識のうちに包帯を取ろうとすると、
「やめときんさい!」
頭上からばあちゃんの声が聞こえました。
そして周りを見ると、ばあちゃんだけでなく、じいちゃん、そして両親、近所のおっちゃんたち数人が私を見下ろしていました。
「目覚めたか!良かったあ!」
誰ともなくその声が聞こえてきました。
私はゆっくりと、起き上がりながら、
私「A、Aはどこ!」
と聞きました。
すると
母「A君は今、病院におるよ。あんたはまだ足の傷とかだけやったけど、A君が見つかったときには、重体でね。でもA君は生きてるから心配しないで」
その言葉に私は少し安心しました。
そしてその私に、
「お前は何しよんぞ!ぞえなよ!もう少しでお前もA君も死ぬとこやったんやぞ!」
*ぞえなよ→ふざけるなよの意。
と祖父の怒号が飛んできました。
「ごめんなさい」
私はその言葉を振り絞るのが精一杯でした。
そして私が目を覚ましたこの日、私たちが祖父母の家にきてから、すでに3日が経っていました。
それから私は事の顛末を祖母から聞かされました。
大きな水音と叫び声で起きた祖父母が、川に降り、水中に沈んだ私を見つけ、助けだしてくれたこと。
助けだされた私は、息はあったが、意識が戻らなかったので、仏間に寝かされ、祖父がずっとお経を唱えていたということ。
そして3日が経ち、お盆がすぎて、私の意識が回復したこと。
Aは近所の人も合わせての捜索で、私たちがいたところより300mほど上流にある[水神様の滝壺]の近くで発見されたこと。
発見されたときには、意識もなく、息もしていない状況で、すぐに病院に搬送されたこと。
(なぜ上流に、、、?)
そう思った私が聞き返そうとすると、察したかのように祖母が、
祖母「じいちゃんが子どもの頃にも似たようなことがあっての。それで、滝壺に探しにいったんじゃよ」
私「そのときはどうなったの?」
祖母「じいちゃんの友達はA君と同じように、滝壺で見つかっての。ただ昔は救急車もそうじゃが、車なんてもんもなかなかあらへんかったから、その友達はそのまま亡くなったんよ」
その言葉を聞いて、私は祖父が怒号を飛ばした理由がわかりました。
私「ばあちゃん、川の中で青白い腕に掴まれたんよ。Aもそれに引きずり込まれて、、、。」
祖母「それは昔から、”誘いの腕”(いざないのうで)言われとってな。死んだ人が川に還るときに、寂しさからか、未練からか、川に入った人をあの世に連れていくいうて言われよるんよ」
私「なんで俺とAは助かったの?」
祖母「水神様が助けてくれたんやろうね。あんたらあのお父さんが生まれた頃から、ずっと水神様をお祀りしよるけんね」
このときの祖母の言葉は、当時の私が信じるのにも十分な言葉でした。
祖母「これからお盆のときは、絶対川に遊びにいったらいけんよ」
私「うん、ごめんなさい」
そう言って泣きそうになった私の頭を、祖母は優しく撫でてくれました。
それから数日して、私はAのお見舞いにいきました。
Aの足の状態は私よりひどく、しばらくは車椅子生活が続くそうですが、後遺症などは残らないだろう、とのことでした。
私は祖母から聞いたすべてをAに話し、Aも自分が実際経験したことなので、信じている様子でした。
私「歩けるようになったら、また川遊びいこうよ」
A「おう、当たり前じゃん!」
私・A「お盆以外に!」
そう言って笑い合う私たち2人の足には、生々しい手形のあとが無数に残っていました。
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あのできごとから数十年、大人になった今もAとは変わらず、仲良くやっています。
お互いの足に残っていた手形も年々、薄れてきて、今では大きな痣のようになっています。
医者によると、この痣は薄くはなっていくが、原因不明で生涯消えることはないだろう、とのことでした。
それでも構わないと今では思っています。
昔からの言い伝えを、ただの迷信だとバカにした私たちへの罰があたったんだと。
私はこれからもこの痣を、”禁忌を破った代償”として背負って生きていきます。
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