
市役所の資料室で、古い音声テープをデータ化する仕事をしている。
去年の冬、町営プラネタリウムの閉館記念講演を録ったテープを再生した。講演者の声が途切れたあと、十秒ほど無音があった。波形を見ると、そこだけ妙に平らだった。ところがヘッドホンでは、女の人が小さく息を吸う音が聞こえた。
「次の子は、数に入れないで」
母の声だった。
母は私が十一歳のときにいなくなった。父は「暦の会」に通い始めてから様子がおかしくなったと言っていた。会員たちは、誕生日には人が生まれる順番が記されていて、そこから外れた者には「繰り越し」が来る、と信じていたらしい。
母も、私に何度かそう言った。
「日にちを間違えると、余ったものが取りに来る」
当時の私は、変な言い回しだと思っただけだった。母は会の集まりを止められると、笑ったり泣いたりして、家族を困らせた。ある雪の降らない寒い日、昼食の買い物に出たまま戻らなかった。
テープのことを父に話すと、彼はしばらく黙ってから、母が昔、子どもを産めない病気だと診断されていたことを教えてくれた。父と母は長くその話を避けていたらしい。私は、母が会に入ったのは私が生まれたあとだと思っていた。けれど父は、母は私を妊娠する前から、会の中心人物に助けを求めていたのだと言った。
私はその頃、恋人と暮らしていた。子どもを望んでいたわけではない。それでも妊娠が分かったとき、二人で泣いて笑った。産後、赤ん坊は病院からいなくなった。
病室の扉は開いていない。廊下の記録にも、誰かが連れ出した形跡はなかった。看護師は確かに赤ん坊を抱いたと言うのに、記録上、私は一度も出産していなかった。退院時には、私の腕に巻かれていた識別票だけが残っていた。名前を書く欄は、きれいに空白だった。
母が消えた場所を探すつもりで、私は閉鎖されたプラネタリウムへ行った。暦の会は、そこで集会をしていたという。投影室の奥に、月ごとの紙暦が束ねて置かれていた。どの年も、母が私を産んだ日の数字だけが切り取られている。
束の底に、母の字で書かれた紙があった。
母は病気のため、子を産めないと告げられていた。それでも会の人間は「空いている日を一つ借りればいい」と言い、母は私を望んだ。母の願いが通った代わりに、母自身の順番は暦から外れた。母はいつか、空いた場所を探しに来るものへ変わる。紙には、そう記されていた。
そして、私についても書いてあった。
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