
短編
春の抜け殻
匿名 2日前
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三月の終わりごろから、部屋の中に土の匂いがするようになった。
暖かくなったから換気かな、と思っていたけど、それにしては変だった。
外よりも、部屋の奥の方が、濃く香るのだ。
最初に気づいたのは夜。
窓を閉め切っていても、床下からじわじわと、湿った匂いが染み上がってくる。
嗅ぎ慣れた春の匂い――のはずが、どこか生臭さを帯びていた。
その頃から、決まって夜中の三時ごろになると、
部屋のどこかで“ミシッ”と鳴るようになった。
誰も歩いていないはずの床。
風もないのにきしむ天井。
暖房はつけていない。
それなのに、音がする。
一歩、二歩、這うような足音が、少しずつ近づいてくる。
最初は夢だと思った。
でも、夜ごとにその音は明瞭になり、
あるとき、布団のそばでふいに音が止んだ。
その直後、首元にだけ空気の流れを感じた。
誰かが、顔を覗き込んだような気配。
でも、目を開けることはできなかった。
昼間は何もない。
音も匂いも消えていて、
自分の気のせいかと思うほどだった。
それでも一度だけ、奇妙なものを見た。
朝、玄関に出ようとしたとき――
内側に、泥のついた足跡がついていた。
片方だけの足。小さな足。
そして、それは家の中から外へ向かって続いていた。
誰かが、出て行ったのだ。
入ってきたのではない。
その夜から、匂いはしなくなった。
床も鳴らなくなった。
気配も、もうない。
春が来たのだと、そう思った。
ただ一つだけ、違うことがある。
布団の中に入ると、もうひとつの体温を感じることがある。
少し湿っていて、どこか土のにおいがして、
夜が明ける前に、スッと消えていく。
入れ替わったのか、出ていったのか。
それとも、まだ完全には抜けきっていないのか。
わからない。
でも、春が来てからずっと、何かがそこにいた。
そしてたぶん――まだ、どこかにいる。
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