
長編
生霊の女性
続き期待 2017年7月4日
chat_bubble 2
44,007 views
今から約15年程前の話。
当時、早く就職をしたかったのでデザイン系の専門学校へ通ったものの、中退してしまった。
2年制の専門学校に1年間通ったが、自分の芸術センスの無さを痛感し、そのまま就学しても就職は厳しいと思ったからだ。
19歳で今まで成績は中くらい。
特にこれといった得意なこともない、ただの男。
これからどうしよう?と悩んでいるうちに季節が1つ過ぎ、ずっと答えの出せない俺を見て母親も我慢できなくなったらしい。
「とりあえず、一人暮らしを始めて自立しなさい。」
その言葉から半ば強制的に一人暮らしをすることとなった。
今までずっと親に甘えて生活してきたので、不安しか無かった。
都内某所、13階建てのワンルームマンション。
エントランスにオートロックのついた物件だったが、家賃が5万円と場所にしては非常に安かった。
不動産のこと等、何も分からない俺は親が進めるままにその部屋に決め、入居することとなった。
部屋は電気コンロが1口(IHではない、ぐるぐる巻きのコンロ)、備え付けのドラム式洗濯機があった。
恐らく、都内に単身赴任をするサラリーマンが利用するには丁度いい物件なのだろう。
とりあえず、生活費を稼がなければならない。家賃が払えなくなってしまう。
状況を選んでいる余裕は無かった。
アルバイト雑誌をコンビニで購入し、自分にできそうなアルバイトを探すことに。
幸いにも高校の頃にアルバイトはしたことがあったので、不安は無かった。
きっとアルバイトで生活しているうちに、将来的に自分は大丈夫なんだろうか?
そちらの不安の方が出てくるんだろうな、と予想していた。
順調にアルバイト先も見つかり、ようやく生活が動き出した。
不思議なことに「これからどうしよう?」とずっと悩んでいる時よりも、とりあえずアルバイトをして生活している今の方が精神的に楽な気がした。
少しずつ生活が馴染んできた頃、今まで気にならなかったことが気になるようになった。
今までは直近の生活ができるだろうか?という不安が強くて、それしか頭に無かったのだが、心に余裕が出てくると周囲の変化に意識がいくようになるのだ。
違和感その1、部屋に誰かが居るような雰囲気がする。
アルバイトから帰宅すると、部屋に誰かが待っている錯覚があった。
もちろん、一人暮らしなので、そんなことはない。
そんな錯覚を感じるのは、ドアの前に立って鍵を開けて中に入るまでの間だけだ。
部屋に入ってしまえば、そんな雰囲気は一切感じられなかった。
その日もそんな錯覚を感じながら、ドアを開けてみた。
「ただいまー。帰りましたよっと。」
当然、誰も答えるはずはない。
それでも試しに声をかけてみた。
返事は無かった。
違和感その2、長い髪の毛がたまに落ちている。
最初はたまに遊びに来る母親のものだと思っていた。
うえぇ、なんだ?これ?
そう思いながら、「それ」をつまみ上げる。
風呂掃除をしているときに、排水溝に長い髪の毛が絡まっていた。
そう、ありえない。
母親はこの部屋の風呂を使ったことがない。
ちなみに俺の髪の毛はこんなに長くはない。
あー、あー。なんとなく見えてきた。
安い家賃、人が居るような違和感、髪の毛。
「ひょっとして、この部屋って事故物件なんじゃ…?」
そんな独り言がポロッと出た。
その直後ーーーー
「クスッ」
バッ!っと慌てて後を振り向いた。
女性の笑い声が聞こえた気がしたが、後には誰も居なかった。
風呂場は廊下に面しており、背後は狭い廊下。
廊下は暗く佇んでいるだけで、何も居なかった。
とはいえ、今のところ霊を見ているわけではない。
体調が悪くなったわけでもない。
変な思想に囚われたわけでもない。
そこで一つの実験をしてみようと思った。
そうだ、友達を泊めてみよう。
今考えれば、酷い話だ。
正常な思考の持ち主であれば、大家あたりに事故物件か確認するのが先だろう。
しかし、当時世間知らずの俺が、まず頭に思いついたのが、「自分以外の人も違和感を感じるだろうか?」ということだった。
母親はたまに来るが、すぐに帰ってしまう。
泊まっていかないか?とか、もう少し居てくれないか?と言うのはなんだか甘えているみたいでかっこ悪いと思った。
だから、友達を泊めて確かめることにした。
近くに住んでいた小中学校が一緒だった友達を呼んだ。
「初めて友達を家に呼ぶよ。散らかってるけど、まあ気にしないで。」
そう言ってドアの鍵を開ける。
友人はふと不思議な顔をした。
「あれ?誰かいんの?」
鍵を開ける手を止めて友人へと振り返った。
「なんで、そう思った?」
すると友人はクイッと顎で部屋を指し示しながら、
「いや、だって、電気ついてね?窓、明るいじゃん。」
え!?と思って窓を見る。
蛍光灯ではない、豆電球でも部屋でつけているのか、という光源の灯りが中で見えた気がした。
自分の間抜けさに少し笑えてきた。
「はは、なるほどね。そりゃあ違和感を感じるわけだよ。俺、なんで今までずっと気づかなかったんだろ。」
つい口に出てしまった。
「違和感?何言ってんだ?」
友人は訝しげな目で俺を見る。
その表情を見て、慌てて返答する。
「い、いや、なんでもないよ。ごめん、独り言!」
非常に不謹慎だと思う。
恐怖よりも、「幽霊が見れるかもしれない」という好奇心が勝っていた。
ドアへ向き直り、鍵を開けて中に入った。
「ただいまー、と。」
そう俺が言うと、
「お邪魔しまーす。」
と言って友人も入ってきた。
「ああ、悪い。入ったら、鍵閉めてもらえるかな?」
振り返り、友人に言った。
「了解〜…、あら?」
友人の動きが止まった。
「どした?鍵の位置わからん?」
そう質問を投げかけると、友人が振り返り、
「なんか、鍵、もう閉まってんぞ。俺が無意識に閉めたんかな?」
友人が不思議そうな顔をしている。
俺も首を傾げながら、
「あー、閉まってるなら、おーけー。最近、物騒だからね。」
そう言って、部屋へ友人を促した。
それから、友人と一緒にテレビを見たり、ゲームをしたり、各々自由に漫画を読んだり。
適当に過ごした。
その間、特に何も起こることはなかった。
やはり、違和感は部屋に入る前だけなんだなぁ。
時刻は23時になっていた。
「やっべ、風呂入ってねーじゃん、俺ら。入ってからゆっくりしようぜ。」
漫画に熱中してた俺は顔を上げて慌てて立ち上がった。
「あー、俺シャワーでいいよ。今日暑いし、湯船いらんっしょ。」
友人が言う。
「だな。ささっとお互いシャワー浴びてしまうか。」
そう言って先に友人にシャワーを譲った。
10分ほどで友人がシャワーを終えたので、続いて俺が風呂場に入る。
頭を洗い、次に体を洗おうとしたときに、
ドサッ
部屋から重たい荷物を下ろすような音がした。
「眠くなったら、部屋の隅にある布団を使ってくれー。」
声をかけたが、反応はない。
まあ、風呂場で反響してるだけで、聞こえはしないか。
仕方ないなぁ、と思いながら、腰にタオルを巻いて一旦部屋へ向かった。
「眠くなったら、部屋の…」
同じことを部屋に入ってから言おうとしたら、友人が部屋の真ん中でうつ伏せで寝ていた。
「おいおい、そんな態勢で寝たら、息できねーだろ。起きろって!」
友人の体を起こした。
おか…しい…
呼吸が止まってる。
「え、え!?ちょっと、おい!おいってば!!」
激しく友人を揺さぶった。
「ハッ!…え、何?どした?」
何事も無かったように友人が眠そうな顔をこちらに向け、答えた。
「お前…息、止まってなかった…?」
動揺を隠しきれない様子で、俺は友人に問いかけた。
風呂で濡れていたからか、額から頬を伝って汗のように水が一滴落ちた。
「止まってねーよ。勝手に人を殺すな。…ってか、お前なんつー格好してんの?俺、男とやる趣味はねーぞ。」
俺の腰にタオルを巻いただけの姿を見て笑いながら友人は言う。
「んだよ…。人が心配したのに…。眠けりゃ、そこの布団勝手に使え!」
そう言って風呂場に戻った。
ささっとシャワーを浴び終え、部屋に戻ると、さっきまでが嘘のように漫画に熱中する友人が居た。
「ういー戻ったか。そろそろ寝る?明日バイトだっけ?」
と、友人が提案してくる。
「ああ、まあ、バイトは12時からだから、朝は余裕だけど、…寝とくか。」
布団を敷いて、友人をそこに寝かせ、自分はタオルケットを床に敷いて、そこに寝た。
一人暮らしなので、布団は一式しかない。今が初夏で良かった。
電気を消して暗くなった部屋の天井を見つめる。
「なんかさ、こうやって並んで寝てると、修学旅行みたいな感覚じゃね?」
と、友人がつぶやく。
「ああ、わかる。大抵、こういうふうに夜中話すとエロい話が中心になるのはなんでだろうな?」
「それな!あと、先生が見回りしてんじゃん。バレないように馬鹿話するのがクソ楽しかったなぁ。」
そんな修学旅行あるある話で盛り上がっていた。
ふと、急にテンションが静かになった友人が口にした。
「なあ。お前、これからどうすんの?」
短い問いかけだったが、大体何が言いたいか分かる。
友人は今は大学に通っている。
俺は専門を中退して、特にやりたいことも見つからず、就職活動もせず、とりあえず流れに身を任せてアルバイトをしてる。
「わからない。」
短く、そう返した。
「そっか。だよな。そりゃ分かんねえよな。」
友人が少し苦笑しながら返した。
俺は驚いていた。
やろうとしてることを途中で投げ出す中途半端野郎、とか、きちんと先のこと考えろよ、とかそういうのが来ると思ってた。
いや、実際、俺はそんな奴だ。
自分にとってハードルの高いことには極力挑戦せず、無難に生きる。
失敗が怖いんだ。だから、今躓いているこの瞬間が苦痛でならない。
でも、そんな少ない言葉で救われた気がした。
誰も自分に共感してくれないと思ってた。
だから、「そうだよな。」って言葉が今の俺には心に響いた。
ちょっと泣きそうになったのを必死に堪えて、俺は答えた。
「とりあえず、食いっぱぐれないようにする。」
最悪だ。
もっと気の利いた言葉を選べと今は思う。でも、当時そんなことを答えた。
「あ… あ…。」
友人が状態を起こして廊下の方へ顔を向けて固まっていた。
その雰囲気に尋常ではない何かを感じて、俺もゆっくりと状態を起こした。
「どうした?」
友人に声をかける。
「女の人が…いた…。すごい顔で…睨みつけて…。そこ、ほら!」
廊下を指差す。
初夏。今日は暑い。
夜も暑い。
なのに、今は空気がとても冷たい。
そんな状況だからだろうか、恐怖心が俺を包み込んだ。
すぐには目を向けられない。
恐る恐る、廊下へと視線をゆっくり向けていった。
そこにはーーーー
何も居なかった。
そう、これだけ異常な空気に包まれた部屋なのに、「何も居ない」。「何も見えない」。
「なにが…?」
恐怖で固まった笑顔をしていたのだと思う。
よく分からない表情で俺は答えた。
そう間違っていない。「なにが?」だ。
だって、何も居ないぞ…!?
「何言ってんだ!電気つけろ!電気!」
友人はパニックになりながら、電気をつけようとする。
が、通常、ワンルームの部屋は廊下側に電気のスイッチがある。
今は行けない。怖くて行けない。そちらへは…!
だから、電気をつけられない…!
お互い、そこから恐怖で固まっていた。
不思議な状況だった。
きっと友人にはすごい形相をした女性がこちらを睨んでいる恐怖。
そして、俺は何も見えていないのにひんやりとした部屋の空気の異常に恐怖。
お互いがお互い、共有できない状態のまま、俺は声を出した。
「部屋…寒くね?」
友人が答える。
「ああ、寒い。」
やっと共有できる事柄が存在した。
馬鹿かと思うが、ここで初めて今部屋で起きている異常性を再認識できた。お互い。
頭の中を整理したかったが、恐怖で思考がぐちゃぐちゃだった。
とにかく考えていること、「この部屋に居たくない…!」
廊下側に何かが居るなら、そこから出ることはできない。怖いから。
反対のベランダから出よう。
そう思って、俺が立ち上がると、
バタン!!
廊下に続くドアが勝手に閉まった。
二人でドアへ顔を向ける。
「やばい!やばい、やばい、やばい、やばい!!」
友人が落ち着き無く取り乱し始める。
無理もない。今、目の前で、勝手にドアが閉まるのを二人で見てしまった。
自分だけが見たわけじゃないなら、それは「錯覚ではない」…!
二人で息を潜める。
この部屋ではない、ドアの向こうの廊下から、人の息遣いを感じる気がする。
気配を感じる、というのだろうか?
「ベランダ…!」
慌てて俺はベランダへの窓を開ける。
そして、ベランダに出て絶望する。
「そうだよ…。ここ6階じゃん…。こっから外に出られるわけねーよ!」
頭は混乱してる。普通に考えればすぐ分かりそうなそんなことも分からず、絶望している。
ベタッ!
何かが…聞こえた。
ベタッ!…ベタッ!
合計3回。濡れた雑巾を壁に叩きつけたような音だ。
その音の正体が気になって、俺と友人はそちらへ視線を向けた。
音はたったの3回だ。
なのに、部屋中に手形がびっしり付いていた…!
濡れた汚れた手で壁に手をついたような跡だ。
「う、うわああああああああああ!」
二人で叫んだ。
怖かった。
一人きりだったら、きっと失禁してた。
何がなんでも逃げたかった!
ベランダから二人して、隣の部屋のベランダへ飛び移った。
今思えば無茶をする。落ちたら死んでいた。
二人して裸足のまま、隣の部屋のベランダの窓を叩いた。
「誰か!助けて!助けてください!!」
びっくりした中の人がベランダを開けた。
「え…?え?どこから来たの?君たち?」
隣に住んでいる20代後半くらいの男性が驚いた表情で俺らを見る。
「部屋で変な…女の人…手形が…寒くて…!」
頭が混乱してて、うまく説明できない友人が辿々しく状況を説明しようとする。
「何?何?とりあえず、落ち着いて。警察呼ぶ?僕はどうすればいい?」
あたふたして、隣の青年がどう対処したら良いか分からなくなっていた。
隣のベランダに飛び移って、急に頭が冷静さを取り戻してきた。
友人はまだパニックになっている。
「信じられないかもしれないですが…」
今起きたことを簡単に説明した。
「俺の部屋で心霊現象が起きたっぽくて、女の人の霊を見かけたと思ったら、部屋中が手形まみれになって…。」
正確には俺は女の人を見ていないから、友人から聞いた内容だが。
手形に関しては見た。
「え?幽霊?マジ?僕の隣?」
隣の人の表情も恐怖に変わっていた。
隣の人がいい人で良かった。
結局その夜はその人の部屋に泊めてもらい、翌朝、自分の部屋を確認することにした。
慌てて飛び出したから、部屋の鍵は部屋の中。
隣のお兄さんに携帯を借りて、母親へ電話して合鍵を持ってきてもらった。
裸足の俺と友人、隣のお兄さん、母親の4人で部屋の前に立った。
昨日のままなら、あの女の人は廊下にいる。
つまり、このドアを開けたら、ばったり会ってしまうよね?
そんな状況だったから、喉が乾き、手が震えた。
鍵をゆっくり開ける。
カチッ
鍵を開けた音をこんなにはっきりと聞いたのは初めてかもしれない。
恐る恐る中へ入った。
廊下には何も居なかった。
そのまま皆一緒に廊下を横切り部屋へと入る。
昨日目撃した手形は綺麗さっぱり無くなっていた。
その日、体調不良ということでアルバイトを休み、友人には何度も謝り、母親と友人と俺の三人で不動産屋へ足を運んだ。
「あの部屋、やけに家賃が安かったけど、事故物件なんじゃないですか?」
そう聞くと、
「いいえ、誰も死んでませんよ。ボヤを起こした男性が火傷で救急車に運ばれたことがあって、焼けたときの跡が部屋に残ってしまってるから、キズモノとして安くしてるだけです。」
そういう返答がきた。
とにかく、気持ち悪くなったので、引っ越しをすることにした。
俺は情けないことに憔悴しており、食事もまともに喉を通らなかった。
きちんと食べていなかったせいか、体力が落ち、夏風邪をひいた。
荷物はそれほど多くなかったので、すぐにまとめることができた。
最後の部屋の掃除を母と祖母に任せて、俺は風邪を治す為に実家で休ませてもらうことにした。
俺が寝ている間。これは後から母から聞いた話だ。
掃除をしているときに、雑巾を濡らす為に溜めた水に女性の顔が映り込んで、
「もう、やだ!!」
と言って祖母が飛び出していってしまった、という事態が起きたらしい。
やはり、女性の霊がいたんだろうか?
しばらくして、ぼんやりした意識で状態を起こした。
喉が乾いたので、何か飲もうと思ったんだ。
タイミング良く、母がポカリスエットを手渡してくれた。
「ありがとう。掃除は?」
貰ったポカリスエットを飲みながら質問する。
「終わったよ。あんたとは合わなかったんだね。」
???
合わなかった?
何を言われてるのか分からなかった。
「霊って、自分と波長の合う人間に見えたり聞こえたりする。あんたがあの女の人を見えなかったのは波長が合わなかったからなんだろうね。」
ああ、なるほど。
そういう意味か。
俺の母は子供の頃から心霊体験を何度かしているらしい。
霊感もそこそこ強いんだと思う。
「何も感じなかったんだけどね。」
母はそう言う。
部屋の内覧をしたとき、家賃の安さは気になったものの、不穏な空気は無かったと言う。
対して、俺は霊感というものが全く無かったので、何も感じ取れなかった。
いや、あの夜感じた寒気を体験しているなら、多少は霊感があると言って良いのだろうか?
とはいえ、結局、霊の姿は見ず終いだ。
「死んだ霊じゃない。生霊だったね。何に執着しているのか分からないけど、あの部屋か、或いはあの部屋に住んでいた人か。ずっと監視しているようだったね。」
生霊。
生きている人間の念、だそうだ。
幽霊とはまた違うのだろうか?俺には詳しくは分からなかったが、母曰く、生霊らしい。
それから、2年が過ぎた。
残念ながら、2年間、ずっとアルバイトをしている。
自分の道は見つからないままだ。…と言えばカッコイイが、正直、社員となって何かの責任を負うのが怖いだけだ。
ぼんやりとした毎日を過ごしているようだった。
ずっと晴れない霧の中を歩いている感覚。どちらへ進むか判断しようにも先が見えない。
ふと、帰り道の途中で通りかかったマンションを見上げた。
ああ、2年前、変なことがあったな。
そう思い出した。
見上げた視線の先で、5〜6歳くらいの男の子がバルコニーのような吹き抜けになっているマンションの廊下を走り回っているのが外から見えた。
もう21時くらいなんだけどな。
まだ小さい子が起きてるんだ。
そんなことを考えた直後、何故かゾワッとした。
説明はできない。
嫌な予感がした。それだけだ。
そのマンションに入る住人がいたので、エントランスのオートロックをその住人が入るタイミングで一緒に入った。
さっきの男の子が遊んでいた位置。
確か、4階のあたりか?向かってみた。
「すごいな。」
マンション吹き抜けの廊下、中央に桜の樹だろうか?大きな樹が立派にそびえ立っていた。
こんな立派な樹を内包しているマンションが都内にあるとは驚きだ。
いたいた。さっきの男の子…
!!!
落ちる。
そんな気がした。
その通りだった。
廊下の吹き抜け部分に座っていた男の子が、そのまま吹き抜けのほうへ転倒してしまった。
あの小さい子には高いであろう吹き抜けの壁をよじ登ったのか…!クソ…!
考えてる暇は無く、全力で走って、吹き抜け部分の上によじ登って、男の子を掴んで廊下へと投げ飛ばした。
普段、こんな身体能力はない。
火事場の馬鹿力…なんだと思う。
「あ…っ」
投げ飛ばしたときに、丁度、体が入れ替わって、俺が吹き抜けに投げ出されていた。
嘘…だろ。
どうやったら、こうなるんだよ???
状況が理解できないまま、落下する際に視界の端に、「口元を釣り上げて笑う女性」が1つ下の階の吹き抜けに居たような気がした。
低い位置に伸びていた樹の枝が俺の喉を引っ掛け、2階下の吹き抜け廊下に落下した。
「ゴホッ…!」
喉の激痛で、うまく息が吸えなかった。
樹の枝を喉に引っ掛けたときに、首の皮がべろんと剥がれたらしい。
そのまま意識を失った。
その後、誰かが救急車を呼んでくれたのだろう。
次に気づいたときは、もう病院のベッドだった。
首の部分の皮が剥がれて、それなりに出血、全身打撲。
幸いにもその程度で済んだ。
ただ、首はデリケートだから、ということで検査も兼ねて1週間ほど入院した。
「舌を噛まなくて良かったね。あと、君、骨がすごい頑丈だね!」
医者のおじいちゃんからそんなことを言われた気がする。
この大怪我をした事と、当時のマンションの生霊。
関係があるかどうかは分からない。
見ていないから分からないけど、目の端に映った女性が同じ人物だったんじゃないか?そんなことを考えていた。
結局、生霊の正体は分かっていません。
情けない話ですが、怖くて調べる気にはなれませんでした。
もう15年以上も経ちますが、首の怪我をした後は特に心霊現象は体験しませんでした。
ただ、何かの節に守護霊鑑定のようなものをする機会があって、俺の守護霊は強力なものらしく、霊が見えないのはこの存在が全て霊的な現象をカットしているのでは?という意見を頂いたことはあります。
それも真偽は定かではありません。
後日談:
- ちなみに今はきちんと会社員として生活しています。 IT系企業です。 ITの知識を一生懸命勉強して、なんとか会社員として採用されました。 一度、死にかけたような怪我をしたことが原因か分からないですが、「生きていなければ、何も選ぶことはできないな。」という考えが芽生えたのがきっかけで、自分で選択肢を探るようになったような気がします。 恐怖体験ではありましたが、自分の考えが良い方向に変わることができたのは良かったかもしれません。
この怖い話はどうでしたか?
chat_bubble コメント(2件)
コメントはまだありません。