
長編
堤防の暗渠
しもやん 2020年2月24日
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俺の地元は田舎だ。
夏になればヤマヒル、ムカデといった山特有の害虫がひっきりなしに家屋内に浸入して住民の安眠を脅かすし、冬は冬で洗濯物には高確率でカメムシがひっついている。1年中心の休まらない山奥の寒村。
ただ夏の川辺はすがすがしい風が渡る、かっこうの避暑地にはなる。いまでもシーズンになればリバーサイドがタープテントで埋め尽くされ、都市部からやってきた人びとの癒しの空間になる。川は流れが速いものの、川べりで水遊びをするぶんにはそれほどの危険もなく、子どもたちの歓声が実家にまで届いていたものだ。
その川の両端には歩行者が散歩できる程度の狭い堤防が作られていて、水害に備えられていた。地元の子どもたちは例外なく、堤防の坂を利用した草滑りをやったり、水遊びをしたり、ぞんぶんに田舎のメリットを享受していた。
これは俺が田舎に転校してきて2年ほど経った中学1年生のころ、夏休みの話である。
いつものように友人たちと堤防で遊んでいると、河村が妙なものを見つけた。彼は鬼の首を獲ったように騒ぎ立て、みんなのところへ息せき切って戻ってきた。話を聞いてみてもらちが明かない。〈すごいもの〉があるとばかりくり返すだけなのだ。
ぞろぞろと彼につきしたがっていくと、それはあった。堤防の側面に大きな穴がぽっかりと空いている。幅2メートル、高さは3メートル近くあるだろうか。馬蹄形のトンネルで、内部はコンクリートで舗装されているようだった。真夏の太陽が照りつける真昼間であるにもかかわらず、内部はほんの1メートルかそこらまでしか見通せず、どれくらい奥まで続いているのかはわからない。
みんなその穴を前にして呆然と立ち尽くしていた。いま考えてみれば増水時に水をよそへ逃がすための排水路だったのだろうが、当時の俺たちはこの穴がなぜ存在しているのかまったく想像できなかった。想像できないものには好奇心と、恐怖心がつきまとう。にわかに興奮が湧きおこり、潜入するのしないだのの大騒ぎが始まった。
すぐさま探検隊が選抜された。俺、発見者の河村、それにグループ内ではカーストの低い林の3人である。俺は男らしいところを見せたかったし、興味もあった。河村は言いだしっぺゆえの責任を感じているようだった。わからないのは林の動機だった。誰からも強制されたわけでもないのに、真っ先に志願したのである。数日前に催された肝試しで喉が枯れるほど悲鳴を上げていた林が。
河村の家が近かったこともあり、懐中電灯はすぐに準備できた。真夏の午後3時すぎ、俺たちは決死の覚悟で水路の入り口を潜った。
内部は外の熱気とは対照的に、気味が悪いほど涼しかった。トンネルの中央は足首が隠れるくらいの水流が奥へ向かって流れており、両側にぎりぎり1人が歩けるくらいの通路がある。俺たち3人は左側の通路をおそるおそる進んでいった。懐中電灯を持った俺が先頭になり、その次を河村が、しんがりを林が務めた。
懐中電灯で見通せる範囲はごく限られていた。奥を照らしても光は拡散してしまい、内部がどうなっているかは判然としない。足元を照らすしかないのだが、見えるのは黒ずんだ狭い足場と、音もなく流れ込んでいく水流だけ。3人の会話はなく、サンダルが路面をこする耳障りな音だけが響いている。
俺はすぐにでも引き返したかったが、それを最初に言い出したやつが臆病者認定されるのは目に見えている。ことに林より先に弱音を吐くのだけは避けたかった。たぶん河村も似たような心境だったのにちがいない。俺たちはつまらない意地の張り合いで自縄自縛に陥ったまま、10分以上も暗渠の内部を歩いていたと思う。
水路は浅い角度で徐々に下っているようだった。それとは気づかないほどに勾配がつけられており、水路は右に左に忙しく進行方向を変えた。1本道である限りは迷う気づかいはないと判断して、俺たちは進めるところまで進もうと取り決めをし、どんどん歩いていった。進んでいくごとに温度が下がっていくような気がしたのを、いまでもよく覚えている。
やがて分岐路に出くわした。Y字型に水路がわかれている。ついに堪えきれなくなったらしい河村がここらが潮時だと主張したけれども、意外にも林が言下に否定した。分岐路があったとしても水の流れで出口の方向はわかる、迷わないから探検を続けようと言うのだ。俺と河村は意地になった。林なんかに当たり前の事実を指摘されたのが癪に障ったのだ。
ああいいぞ、探検を続けようじゃないか。
それにしてもへんだ。俺はこの水路が尋常ではないことを悟り始めていた。いったいこの穴はどこまで続いているのだろうか。もうゆうに30分近くは歩いている。どこにつながっているにしろ、そろそろ向こう側に出てもよいころあいだった。もしかしたら九十九折に地下へと伸びているのだろうか。いったい誰がなんの目的で、こんな長大な水路を掘ったのだろうか。疑問は尽きなかった。
その後水路は何度も分岐した。Y字、T字、三俣。どの道を選ぶかはそのときの気分だった。なんとなく右が気持ち悪いと思えば左に、その逆なら右に、真ん中は奈落の底に続いていると感じれば避ける。分岐路を選んで進んでいくたび、林の明晰な判断を反芻した。〈流れの逆を辿っていけば戻れる〉。水が逆流しない限りは。
ふと気がつくと、俺は寒さを感じていた。
外の熱気がまったく届かないほどはるか下まで降りてきてしまった証拠だった。買ってもらったGショックで時間を確認すると、入ってから1時間以上も経っている。背筋を冷たい汗が這い下りた。子どもの足とはいえ、これだけの時間が経っていれば4キロは歩いたことになる。なにが目的で掘られたにせよ、いくらなんでも長すぎるし、深入りしすぎていた。
なあ河村、そろそろ引き返そうや。
返答はなかった。振り返ると、誰もいなかった。河村はおろか林も姿を消していた。俺は冷静に、連中は俺を驚かせようとして反対側にでも移って息をひそめているのだと感づいた。懐中電灯の灯りを周辺に投げかける。
やはり誰もいない。よく考えてみると、途中からサンダルの足音は俺だけのものだった気がする。2人とも黙って勝手に引き返したのだろうか? 懐中電灯なしで、この真っ暗闇の水路を?
たぶんそうしたんだろう。
〈流れの逆を辿っていけば戻れる〉。彼らはその理論を地でいったのだ。
俺は地下深くの迷宮で1人、呆然と立ち尽くしていた。
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