
長編
通勤電車の怪
匿名 2015年12月14日
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社会人7年目にして会社を辞め、東京から実家のある町に帰って来ました。
実家から通える会社に何とか転職し、電車で50分の距離を毎朝通うことになりました。
東京の満員電車にくらべると地元の通勤電車に窮屈さは感じません。
しかも始発駅に近いため、朝は必ず座席に座れるのがささやかな幸せでした。
ある朝の通勤電車でいつものように座席に座ってうとうとしていると、右肩にずしりと重みを感じました。横目で見ると白髪混じりの髪を刈り上げた黒い上着のおじさんが私の肩にもたれかかっていました。
膝に分厚いナイロンのカバンを乗せ、両手で抱えています。
このおじさんには見覚えがありました。
私はいつも同じ時間の同じ車両に乗っていたため、いつも乗ってくるメンバーの顔は自然と覚えていました。茶髪を束ねた女子大生、あまり見たことない賢そうな制服を着た小学生、いつも同じ上着を着ているお兄さん。
そのおじさんは私より前の駅で乗って、いつも分厚いナイロンのカバンを膝の上にかかえて寝ています。
寝ていて倒れ掛かってるんだなと思い、気にせず目を閉じました。
右側からおじさんの柑橘系の甘いポマードの香りがしました。
しばらくすると、今度はドスンという何かが落ちる音がしました。
直感的におじさんがカバンを落としたんだと思った瞬間に、今度は私の腕の上にズシリと何かが落ちる衝撃がありました。
驚いて目を開けると、私の右腕の上に隣のおじさんの手がありました。足元には分厚いナイロンのカバンが落ちています。
とっさにおじさんの方を見て、私は息を飲みました。
おじさんは座った状態のまま上半身が仰け反るようになり、白目をむいていました。口がだらしなく開き、目の周りが異様に赤くなっていました。
ただ事じゃないと思いとっさに立ち上がった瞬間、おじさんは私の座っていた方に倒れ込みました。
体が痙攣しています。
車両内は騒然となり、誰かが緊急ボタンを押したようでした。
おじさんは次の駅で救急隊員に運ばれていきました。
仕事が終わり、帰りの電車のなかで今朝の出来事を思い出していました。
「あのおじさん大丈夫だったのかなぁ」
次の朝、いつもの電車に乗るとあのおじさんはいませんでした。
次の日も次の日もおじさんは乗って来ません。
気にはなっていたのですが、ちょうどその頃から転職先の会社での仕事が忙しくなり、今までよりも早い時間の電車に乗らなくてはいけなくなったため、次第におじさんのことを考えることは無くなっていきました。
1年程たちました。
ある朝の通勤電車のなか、ふと周りを見ると見覚えのある顔がちらほらあることに気がつきました。
「ああ、この電車は入社当時いつも乗ってた電車だ」
そう思いながらうとうとしはじめ、気がついたら寝ていました。
ズシリ
右腕に衝撃を感じました。
驚いて目を開けましたが、そこには何もありません。
とっさに右側の座席を見ると、茶色い髪を束ねた女子大生風の女の子が目を閉じて座っています。
気のせいだと思うことにしましたが、右腕に感じた衝撃はあの時の感触にあまりにそっくりでした。
ほのかに柑橘系の甘いポマードの香りがしました。
「あのおじさんは亡くなったんだ」
直感的にそう思いました。
それから電車に乗っているとしょっちゅう右腕にズシリと衝撃が走るようになりました。
目を開けても何もありません。
一度気のせいだと思い込むためにわざと目を開けなかったのですが、目を閉じている間ずっと右腕に何かが乗っている感覚が消えません。
目を開けるしかありませんでした。
不思議な事に、朝電車に乗っているとたまに急激な眠気に襲われるようになり、そうしてうとうとした時に必ずズシリと来ました。
衝撃を感じて目を覚ますと柑橘系の甘いポマードの香りがします。
座席に座らないようにもしたのですが、前日の仕事が遅かったりするとどうしても座りたくなります。何で自分なんだと怒りが湧いてきて思い切って座るのですが、右腕の衝撃とともに座ったことを後悔しました。
私は電車通勤が苦痛になり一人暮らしをする事に決めました。
仕事の合間に部屋を探し、1ヶ月程で引っ越しの準備が整いました。
一ヶ月の間は一度も座席に座らなかったのですが、それでも同じ電車のなかにあのおじさんがいるのかと思うとゾッとしました。
転居の前日の晩、仕事終わりに珍しく飲みに行き、遅い時間の電車で家路に着きました。
実家のある家の最寄り駅に近づくたびに人が降りていき、車内がガランとしていきました。
酔っていた私は何も考えずに座席に座り、うとうとしはじめました。
どれくらい寝ていたのでしょうか。
右腕にズシリと衝撃を感じて目が覚めました。
目はまだ閉じたままです。
右腕に何かが乗っている感覚があります。
「しまった」
今までよりもかなり強く、柑橘系の甘い香りが漂っています。
右腕にある重い感覚をすぐにでも消したい一心で私は目を開けました。
目を開けた瞬間、私は完全に息が止まりました。
前かがみに座っている私のすぐ目の前に、黒い靴と黒いスラックスの誰かが立っていました。
電車はガラガラなのに、私の靴と目の前の人物の靴は今にもくっつきそうです。
ゆっくりと目線を上にあげていったのですが、ベルトが見えた時点で顔をあげられなくなりました。
足元に見覚えのある分厚いナイロンのカバンが落ちているのに気づいたからです。
私は目線を下げたまま立ち上がり、そのまま他の人がいる別の車両に移動しました。
視界の奥にずっと黒い服を着た影がありました。
次の日の朝、私はタクシーで会社に行きました。タクシー代12,000円は全く惜しくありませんでした。
そしてそれ以降、出来るだけ電車には乗らないようになりました。
もしかしたらあの朝、偶然おじさんの手が私の腕に乗ったのではなく、おじさんは遠のく意識の中で苦しみながら私に助けを求めたのかもしれない。
この出来事を思い出しながら、今ふとそう思いました。
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