
長編
緑の文化大革命
しもやん 3日前
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くべきことに天文学畑からなされたこともある)。これは進化を突き詰めて考えていない浅はかな批判であろう。
最初に目を持った生物を想像してみてほしい。彼はわれわれほどはっきり世界を認識できはしないものの、おぼろげながら光の明暗程度なら感知できる。明るいほうは海の浅海域であり、そこには光合成に必要なエネルギーが満ちている。暗いほうは海の深海域であり、外敵の少ない避難所となる。最初期の目がわれわれの持つ高性能製品とは比較にならないにしても、やはり利得はあったはずである。そうでなければ目が進化するはずがないではないか。目を維持する便益がコストを上回ったからこそ、それは自然淘汰によって優遇されたのである。
いったん目が発生してしまえば、その便益は計り知れなかったのであろう。生物は独立に何度も目を〈発見〉しているし、こんにち視覚に頼るわれわれのような種の目は色まで見分けられるほどゴージャスになった。目は明らかに時代とともに改善されている。これは進化が主に偶然によって推進されるという先述の理論と矛盾しない。
遺伝子の突然変異は必ずしも有利なほうへばかり起こるわけではない。たとえば目をコードする遺伝子のうち、TTCというコドンがTTGにポイント・ミューテーションしたとしよう。すると作られるタンパク質が変わり、ひいては目の機能そのものに変化が起きるだろう。すでに存在する完成品に手を加えても、たいていは蛇足になる。読者は手持ちの電子レンジを解体して配線をいじり、さらなる機能の改善を施す自信があるだろうか? まともに使えなくなるのが落ちであろう。
突然変異もこれとまったく同様に、ランダムな変異はおおむね有害な結果を残す。せっかく多少なりとも見えていた視力が減退したり、目そのものが欠損してしまうかもしれない。そのような不運な個体は在来種と比べて不利なので、生き残って子孫を残すのは難しい。自然淘汰は低能には非常に厳しく当たる。情状酌量もお目こぼしもない。劣った個体は容赦なく淘汰されていく。その結果、どうなるのか?
時間とともに生物は、より進歩しているかのように進化していくだろう。なぜなら有害な突然変異は自然淘汰によって排除されているからだ。現代に存在する生物はすべて、過酷な時代を生き抜いてきたスーパー遺伝子を持っているといえよう。十分な時間――何十億年というオーダー――さえあれば、単細胞生物から人間が鋳造されうるのだ。
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