
搬入口のある複合ビルに着いたのは、昼のピークを過ぎた頃だった。地図アプリは正しいはずなのに、同じ形の棟が並び、外壁の番号は途中から飛んでいる。荷物を抱えたまま何度か角を曲がり、気づけば表の人通りが途切れ、裏側のサービス通路に入り込んでいた。
空調の音だけがやけに大きい。床は白く、天井は低い。途中で「関係者以外立入禁止」の札を見つけ、引き返そうとしたが、背後の扉は静かに閉まり、取っ手は空回りした。鍵の手応えも音もない。ただ開かない。
横の非常口が開き、年配の男が出てきた。制服でも作業着でもない。ただ首から太いストラップを下げている。
「迷ったか。ここは客用じゃない」
事情を話すと、男は廊下の奥の表示を一瞥した。
「戻すより早い。抜け道がある。ただし手順がある。嫌なら待て」
待つ、という言葉が妙に重かった。誰も来ない気配の場所で、いつ来るか分からない誰かを待つ。選択肢にはならなかった。
「抜けたいです」
男は細い通路を進み、狭い部屋に通した。ガラス越しに、無人の受付台と透明な箱が並んでいる。箱の中に薄いフェイスシールドが積まれていた。
「これを着けろ。外すな。理由は聞くな」
軽い。だが被った瞬間、視界の端がわずかに歪んだ。透明なのに、距離感が狂う。床が少し浮いて見える。
さらに奥の通路へ進む。音が吸われるように静かだ。靴底の感触だけが強い。耳の奥が詰まり、自分の呼吸が骨から響く。
角で男は立ち止まり、棚から細いリストバンドを手渡した。小さなランプが付いている。
「手首に巻け。ランプが点いたら扉が開く。入ったら座って待て。立つな。外すな」
言い終えると、男は振り返らずに去った。足音も、扉の開閉音も聞こえない。
取り残された。
リストバンドを締める。肌に当たる部分が冷たい。ランプは消えたままなのに、手首の内側だけがひやりとする。
時間の感覚が薄れた頃、遠くで圧が動いた。空気がわずかに押し引きする。次の瞬間、ランプが点いた。目の前の扉の縁が細く光る。音はない。
押すと、抵抗なく開いた。
中は小さな部屋。椅子が一脚。窓はない。照明は平坦で影を作らない。言われた通り座る。シールド越しの世界は輪郭だけが強調され、奥行きが消えている。
背後の扉が閉まる。音はしないのに、空気が一段落ちた。
足元に気配があった。
視界の歪みのせいで、斜め下にあるはずの輪郭が掴めない。私は反射的にシールドの縁に触れかけた。だが止めた。
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