
梅雨に入る直前の福岡で、湿った風が駅前の看板をベタつかせていた頃の話だ。
同じコールセンターで働いていた真島さんは三十九歳で、歳のわりにやけに身軽だった。夜勤明けでも妙に元気で、休憩室で缶コーヒーを開けながら、ポケットから小さい録音機を取り出してはニヤつく。趣味が環境音の録音らしい。雨樋に落ちる水、踏切の警報、ビルの空調が回る低い唸り。そういう音を集めて、自分の配信に使うんだと言っていた。
正直、俺にはよく分からない。でも真島さんは楽しそうだった。イヤホンを片耳だけ差して、録った音を聴かせてくる。耳の奥がくすぐったくなるくらいリアルで、目を閉じるとその場所に連れていかれる感じがした。
ある日、真島さんが仕事終わりに言った。最近、地下街の一角が閉鎖されてるの知ってる? 工事で人が入れないんだけど、換気の音がめちゃくちゃいいんだよ。録れたら最高。俺は軽く止めた。入っちゃダメな場所って、だいたい面倒の入口だ。真島さんは笑って、通路の向こうから録るだけ、って言った。そんな顔を見たのが最後になった。
次の週、真島さんが来なくなった。欠勤の連絡もない。上司は体調不良で休むって聞いてると言ったけど、そんな伝え方をする人じゃない。メッセージを送っても既読にならず、電話も呼び出し音のあとで切れるだけだった。
一週間、二週間と経って、さすがに落ち着かなくなった。たまたま真島さんと仲が良かった別部署の人に聞いても、何も知らない。家族の連絡先は俺は持っていない。警察に、と頭をよぎっても、何を根拠にと言われたら弱い。俺はただ、変な汗をかきながら仕事を回した。
三週目の夜、スマホに共有リンクの通知が来た。送信者は真島さん。本文は短く、音だけ。聴いて。リンク先は音声ファイルだった。再生ボタンを押す指が少し震えた。
最初はただの低い風音だった。地下の換気みたいな、一定のリズムで腹の底を押す音。次に、布が擦れるような細い音が混じり、真島さんの息遣いが近くで聞こえた。マイクに口を寄せている感じ。小声で、俺の名前が呼ばれた。驚いて画面を見返す。音は続いている。
真島さんは何かを説明しようとしているのに、言葉が途切れ途切れだ。途中で、別の足音が入った。コツ、コツ、と硬い床を叩く音が、真島さんの周りを回っている。足音が近づくたび、換気の低音が少しだけズレる。音のズレが、耳の奥に粘ついて残る。真島さんが笑ったのかと思った。違う。笑いに似た息が漏れただけだ。
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