
私の小学校には、「夜の追いかけっこ」という噂があった。
放課後、誰もいない校舎で「もういいかい」と声が聞こえたら、絶対に返事をしてはいけない。
もし「まあだだよ」と答えたら、隠れる側になる。
もし「もういいよ」と答えたら、鬼になる。
そして、どちらを選んでも、朝まで校舎から出られない。
そんな噂だった。
私たちは最初、それをただの怪談として笑っていた。
けれど、六年生の秋。文化祭の準備で遅くまで残った日、その噂は本当になった。
教室で飾り付けをしていたのは、私と、幼なじみの拓也、同じ班の真帆の三人だった。先生は職員室にいて、終わったら声をかけに行くことになっていた。
外はすっかり暗くなっていて、窓ガラスには教室の蛍光灯が白く映っていた。廊下の奥は電気が消えかけていて、非常口の緑の光だけがぼんやり浮かんでいた。
そのとき、廊下の向こうから声がした。
「もういいかい」
子どもの声だった。
私たちは手を止めた。
「誰か残ってる?」
拓也が廊下を覗いた。
誰もいない。
真帆が小さく笑った。
「先生の声じゃないよね」
もう一度、声がした。
「もういいかい」
今度はさっきより近かった。
私は急に、噂を思い出した。
「返事しちゃだめ」
そう言ったのに、拓也はふざけて廊下に向かって言った。
「まあだだよ」
その瞬間、校舎の電気が一斉に消えた。
教室も、廊下も、全部。
真帆が悲鳴をあげた。
数秒後、非常灯だけが点いた。薄緑の光の中で、拓也の顔が真っ青になっていた。
廊下から、ぱたぱた、と裸足の足音が聞こえた。
小さな足音だった。
ぱたぱた。ぱたぱた。
でも、妙に速い。
「隠れて」
どこからか声がした。
さっきの子どもの声ではなかった。もっと低く、掠れた声だった。
「十、数えるから」
廊下の奥で、誰かが笑った。
「いーち」
私たちは反射的に動いた。
真帆は掃除用具入れに隠れ、拓也は教卓の下に潜った。私はカーテンの裏に隠れた。心臓の音がうるさくて、息をするのも怖かった。
「にーい」
声は廊下ではなく、教室の中から聞こえた。
「さーん」
誰かが、机の間を歩いている。
ぎし。ぎし。
でも足音は、床ではなく、天井から聞こえていた。
「よーん」
カーテンの隙間から、教室が少し見えた。
黒板の前に、小さな子どもが立っていた。
赤いランドセルを背負った、低学年くらいの男の子だった。顔は俯いていて見えない。裸足の足は泥だらけで、床に黒い足跡を残していた。
「ごー」
男の子が、ゆっくり顔を上げた。
目がなかった。
目のある場所が、黒くぽっかり空いていた。
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