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長編

出土した災厄

しもやん 3日前
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討つ。  共産党は早速このプランを実行に移した。盧溝橋で夜間訓練を行っていた日本軍は、なんらの警告もなく突如として発砲されたのである。発砲は国民党の仕業とされ、以後日本政府と国民党の関係は悪化の一途を辿り、ついには日中戦争の泥沼へとはまりこんでいくのである。この発砲はコミンテルン(=共産党シンパで構成される赤化推進組織)の謀略であったいうのが現代の通説である。日本は共産党にまんまとはめられたわけだ。  余談だが日本の政治力がお粗末なのはなにもいまに始まったことではない。盧溝橋事件しかり、真珠湾攻撃しかり。後者はアメリカの見事な心理戦であったといえる。日本へ苛烈な要求――仏印からの撤退、満州からの撤退などを要求したコーデル・ハル国務長官のハル・ノート――をつきつけて、わざとハワイを攻撃させる。国民感情を煽り、世界大戦の不参加を公約にしていたローズベルト大統領は労せずして参戦に転じることができたのだ。ハル国務長官の謀略だろうがなんだろうが、外交の段階から戦争は始まっていたのである。それを見抜けず勝ち目のないアメリカにケンカを売った日本の政治力は幼稚であったといえよう。  その後日本は石原莞爾大佐や首相の近衛文麿の意向もあり、国民党軍とは散発的な戦闘しか行わなかった。けれども満州住民への無差別虐殺や租借地の民間人殺戮などが横行し、ついに日本も現地日本人を守るために開戦せざるをえなくなった。南京政府のトップである親日派の汪兆銘とともに蒋介石の国民党軍を撃退する。以上が日中戦争の開戦までのあらましである。  祖父が派兵されたのは上記のような時分であった。      *     *     *  祖父は決して戦争体験を語らなかった。  もともと寡黙な人で他人とのコミュニケーション能力に難があったのは確かだが、酒が入っていないとき――1日のうちのほんのわずかな時間――は孫たちと親しげに言葉を交わすこともあるにはあった。結局わたしは一度として、祖父から日中戦争の話を聞けなかった。  祖母に聞いてみたこともあったが、彼女もまったく知らないのだという(そんな祖母もアルツハイマーを発症し、十年以上も前に亡くなっている)。中国の話をせがむと彼は露骨に不機嫌になり、拳が飛んでくる。彼女は極力戦争の話に触れないよう神経をすり減らしていたらしい。  頑として戦争体験を語らなかった祖父。彼はかの地でどんなおぞましい経験をしたのだ

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  • こわい
    ブースター
  • 小説にして商業出版できるくらいレベル高い。歴史に絡めた、圧倒的にリアリティある話は凄いの一言です。
    匿名
  • レベル高いけど、分かりやすかった。高レベル投稿を期待します。
    防空頭巾
  • 史実に絡んだ怖い話、ちょっとレベルが高いですね。日記の空白期間、何が起こっていたのか気にはなります。もあ30年以上前に他界した私の祖父も満州や華南などの戦地に赴いていて、その当時の話を子供ながらに興味深く聞いたものですが、当時の自分に歴史的な知識と見識がもっとあればいろいろ聞けたのにな、と今更ながら残念に思っています。
  • このお話、はっきり言って怖いのか何なのか わからないんですが。解説が多いです。 もっと分かりやすく書いてくださいね。
    しゆか
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