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長編

人間になりたい

匿名 2024年12月23日
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私は幼い頃から年若い父と母のケアに当たっていました。 喧嘩ばかりする2人の仲裁に立って、時に殴られ時に泣かれ、そのカウンセリングのようなことをしていました。 5歳から11歳まで 私は親戚の叔父に体を弄られたり性的虐待を受けてきました。 両親には話しましたが、好きでやってるんでしょ?何被害者ぶってんの?ちょっと大丈夫〜〜? …でした。 私が学校で勉強すると母は泣きます 父はある言葉を言います。 私たちは子供ができたから学校へ通えなくなった、やりたいこともできなくなってるし 友達もいなくなった。 勉強の話や 友達の話をする度に、怒ったり悲しんだりします。 そして私が勉強をやめて バカなふりをすると2人は笑います。 お前は本当に馬鹿なんだから、そう安心した顔で笑います。 兄や妹が勉強しても褒めるばかりでそういったことは言いません。特別な長男と可愛い末のお姫様だからです。 私が友達を作ることをやめて、いないと言いました。 2人は悲しむのではなく笑って面白がっていました。 友達との楽しい話をした際はお前のせいで!!!お前のせいで!!!と遠回しに言います。 友達を作るのをやめればいないということにすれば笑うのです、口ではかわいそうと言いながら。 お前は次男なんだから 私たちも 真ん中の子で同じように酷い目にあったんだよ?だからそういう思いをさせたくない と口では言いますが、実際には俺たちがそういう思いをしたんだからお前も苦しめ と そう 示してきます。 そうなりました。 逆らえば 施設に送ると、食事を与えないと、今すぐにでも ホームレスになれと。 しかし 父は元孤児です。彼らは謝罪を免罪符にとらえていて何をやったとしても 冗談といえば済むと考えています。 自らを善人と自称し過去の罪を無かったことにする。 その厚顔無恥さに吐き気がします、指摘すれば暴力が振るわれます。 その事実自体もなかったことになります。 私は育てられてきたのではありません ただ動物として躾をされてきたのです。 与えられた愛情やしてくれたことは感謝しています。 ありがたみを感じています しかし 人として扱ってこなかったのも事実です。 私は教育課程が進むにつれ性的虐待にきずき、頭がおかしくなってしまっていました。 自分がされていたことの意味を知りました。 性的虐待されていたことを知りながら見ないふりをしたことについて考えました。 親に虐待に等しいことをされていたことに裏切りを感じてしまいました。 しかしそれは、私はおかしいからと 迷惑をかけているからと仕方ないと捉え 家族の今後を考え 誰にもこの秘密を打ち明けることはありませんでした。 これは罪悪感につけ込むやり方です、サーカスの象やライオンが逆らえないのと同じです。 たくさん たくさん 考えた上で死に救いを求めました。 自殺をする為に木から頭から落ちました。 中学校に上がるまで私は人の顔を認識できませんでした 文字もぼやけて読めなくなったし時計も読めなくなってしまった ただ 視力が弱いというわけではなく人の声も話も理解できなくなってしまった。 死への恐怖がまた沸き起こり、今自分に起こっていること、助けてほしいとまた願ってしまった。 そして、普通になれ普通になれ、そうして僕を叩きました。 事情を話しました。 自分に酔ってる 嘘をついてると言われ 施設に送ると そうすれば1人になって死ぬと 脅されてました。 でも、何度も聞かないとわからないんですよね。それがもっともっと 二人の怒りを沸き立てました。 当然 後で冗談と言いますがしかし 殴られた 痛みが、その時の怒りに満ちた二人の顔が 真意を物語っています。 そして私が高校に上がる頃、学力もないわけですから 特別支援学校で体を鍛え、自衛隊に行くことに決めました。 そこで事故を装って死んで保険金を家族のために残そうと 無意味な人間であるこの私が 無価値な道具であるこの私ができる唯一の恩返しであると本気で信じていました。 今考え直せば おかしいと分かります。でも当時は分からなかった これはまさしく奴隷や犬に対する洗脳であって 飼育による しつけ であって人に対する行いではない。 そんなことを当たり前に思うような道徳 学校で学んでませんでしたからね。 自衛隊で 僕は誰よりも一生懸命に頑張りました 自衛隊で働くために3年間トレーニング部という部活動に入り 体をひたすらに 意味もなく鍛え続けました。 自衛隊では 私はすごく褒められました 優しくされました みなみなに 本当によくしてもらいました。 最初から自衛官だと言われました 当然です 私には意思を決定する権利がないからです。 与えられた命令に対して応えることに 何の疑問も浮かびませんでした。 人に対して よくすることも当然です。 監視下にあるわけですから それを利用する人もいませんでした。 うまく使って遊ぶ人は追い出されてしまっていました。 混じり気のない善意を渡して、素直に返される。 とても新鮮で美しくて 今までの人生は 何だったんだ、そう思いました。 ですか 人として大切にされればされるほど無能としての私が、物としての私が、罪悪感で狂って行くんです。 こんなに暖かくて優しくて 仲間がいてくれて 挨拶も返してくれて 信じてくれて そんなこと 今までなかった。 もし私がここで自殺してしまえば 事故を装い死んでしまえば、悲しむ人もいるだろう 心に傷を負う人もいるだろう。 教官も、区隊長も、関わる人にみんなに迷惑をかけてしまう。 自分がされて嫌なことはしてはいけない。 だいじなみんなが悲しむことをしたくない。 命を捧げてお金を残すという目的から逃げたいと感じてしまいました。 死は救いでありましたが、死よりも恐ろしいことでした。 気づけば僕は訓練の途中で走るのをやめて、腰が痛いと嘘をつきました。 その後の訓練で腰にヒビが入ったことを装い、みんなを騙して、そのまま やめました。 思い出す度に涙がでます、でも今はもうそれすらも枯れてしまいました 虚しいばかりです。なんの償いすらできないのだから。 さて北海道におりました私ですが、飛行機で見送られながら 東京へと帰らせられました。 おばあちゃんが病気で大変で死んじゃう、母に言われました。 北海道から東京には帰りたくなかったけど帰りました。 そのまま どんづらする気だったんですけど、実際に目の前にすると抵抗はできないんですね、空港で連れ戻されてしまいました。 おばあちゃんは元気でいてくれて、ぼくは嬉しかった。しかしだったら病気で死ぬってどういうこと?ですよね。 まあ、嘘を付いて逃げられなくしただけの話ですね。 家に帰ればどうして普通にできないの どうしておかしいの?何で?何で? どうして?どうして? 話せば、一つの家庭が壊れてしまうというのに、それを話せばまた 虐待が始まるというのに。 自分を人間だと信じた私が、自衛隊で積み上げた心はまた 崩され気がつけば 暗く 醜い 私だけが残りました。 毎日毎日毎日毎日 そうさせた当本人たちが、 何が不満なんだ!まっとうに育ててやったのに…本気で怒って泣いて、私にそう言います。 私はもしかして妄想の世界で生きてきて頭がおかしくなってきたのか?しかし、そうであれば 手元にあるこの日記に書かれてる情報は?ノートに残る涙のシミは?手の顔を食いちぎった跡は幻覚 なのだろうか。 んなわきゃねーだろ。って話なんですよ。 しかし反論することは許されません。だから何も言えません。 あの人たちは全部なかったことにして無知を装っている 本気でそう信じ込んでいる あまりにも恐ろしく怖かった。 私はその責め苦に耐えかねてホームレスになりました。 お金もない。 保険証もない。 携帯も使えない。着の身着のままで 準備もなく神社 や 駅前で寝て 死を待っていました。 でもふと、自衛隊の頃を思い出して、昔やったポケモンや モンスターハンターのことを思い出して、気持ちを奮い立たせました。 亀の甲より年の功、年長者に助言を求めるのが早い。その結論に至りました。 頼れる人と考えた祖母に会いに行きました。 しかしその家はありませんでした。今は叔父の家に身を寄せているようです。 後で見て聞いて確かめた話ですが悪い親戚たちが、犯罪に等しいことをして全てを奪ったようでした。 何度も居留守を使われていましたが、諦めて僕を入れてくれました。 その親戚たちが何故そのような事をしたのか? それはおばあちゃんとおじいちゃんの行いで苦しんだ結果でした。 親の因果が子に報い、その子の因果が孫に、私に降りかかる。 憎しみの連鎖に過ぎませんでした。その人達もまた 理不尽で苦しみ 惑ってしまった結果ですね。 悲しいです、ただただ悲しいです。 おばあちゃんの介護は大変でしたら本人も苦しみで余裕がなくなっていました。 苦しくて悲しくて私に辛く当たってしまうこと。 それは当然のことです、誰だって 余裕がないとき、人に思いを打ち明けたいですものね。 私を傷つけることで 当人は苦しみました、そして私が苦しんだところでそれを晴らすことはできません。 神様仏様に毎日お祈のりに行って、やれることを一生懸命やりました。 でも 僕自身の余裕もなくなって、隠れてコンビニでおにぎりを食べてしまったりもしていました。牛丼を食べてしまいました。 余裕がない人間が、どうして人に余裕を与えられないのか?そんな簡単なことすらわかっちゃいなかったんです。 おばあちゃんは、余命申告より10ヶ月長くともに居てくれて、亡くなりました。 誘った時おばあちゃんはすごくいい顔していて 穏やかそうだった。 とても静かで自分の運命を受け入れていた。 私が来たせいで無理に生かせてしまって、苦しみ 果ててしまった。 人を殺すことに等しい行いです。 そうして私は家を追い出され ホームレスになりました。 見かねた親戚の叔母が助けてくれました。 伊豆の方まで行ってホテルの厨房でお仕事をすることになりました。 でもそこでもうまくいかなくて いじめ に等しいことをされて でもそれをやり返してしまえば 相手を苦しめ 悲しませてしまう。 そんな思いをさせたくありませんし、今の自分を見てそうされても仕方がないのではないか? 厨房という場所、上下関係のある場所、暴言を吐かれても包丁を向けられても でも あくまでも それは本気ではなくて 人を育てるやり方として 根付いたものではないか。 であれば、頼まれた仕事を満足に来なせない私に原因がある。 ですが 当時の私は自分のことすら見えていませんでした。 直ぐにわかることがどれだけ考えても人に聞いてもわかんないんです。 上司の方にお話して泊まっている場所や、職種を変えていただきました。 しかし、お世話になった方々に悪い印象を与えてしまった罪は許されることではありません。 ベルマンとして働きました。 駐車場の受付ですね、とてもとても楽しくてやりがいがあって 多くの人に褒められて嬉しかったです。 お客さんもみんな喜んでくれたし、とても良くしてくださいました。 本当に嬉しかった。 そこで知り合った素晴らしい女性が、僕が誕生日だとしると わざわざ食べ物を買って持ってきてくださったんです。 フリーマーケットにも誘ってくれて 僕の持ってて使いようのないものをお金に変えてくれました。 食べ物もご馳走してくれた、人との付き合いもくれた。本当に嬉しかった 駐車場前で車が溝にはまってしまって、人が困ってる時がありました。 僕の身を案じて止めてくれた方がいらっしゃいました。そういうことをしてしまったら 大変なことになっちゃうよ、責任が伴うことについて 身を案じてくれていたんですね。 それでも僕はそうしたい。そうされた上で仕事を辞めることになったとしても、ホテルマンとしてすべきことを今すべきだとそう感じていました。 自分の仕事と並行して 渋滞が起こらないように車の誘導をしたり、安否確認をしたり、お手洗いに案内したりしました。 せっかく楽しみに旅行に来たのに辛い目にあうなんて、ならできることを今しないと。そう思いました。 彼は裏でフォローしてくれて助けてくれました。 おかげで 立場が悪くなることはなく、なのに彼はなんてことのない顔でよくやったね。君はホテルマンだよ。 そう 優しく語りかけてくれました。 僕は本当に嬉しかった。 僕はよく お手洗いで泣いたりして生きてきました。 だからそこが綺麗であることとか心を守る場所って知ってるから、毎日毎日綺麗にしていました。 ありがとう、ありがとう。こんなことしかできないけど役に立てたらいいな。 最初は湿っぽくて汚れていて寂しくて怖い場所だったけど、綺麗になっていい香りのする場所になりました。 僕は嬉しかった。みんなも喜んでくれた。それが とてもありがたかった。 さて、繁忙期が過ぎれば契約更新があります。 駐車場の受付の仕事はお客さんの量が減りますからなくなるそうでした。 次の仕事は厨房のお手伝いだそうです。 失望されることを恐れて、私は、何を口にしたのかも分からず、やめる選択を伝えました。 これ以上言えば どうしようもないことが分かっている,また同じようなことが起きてしまう, だから ただ黙って消えました。 行く場所がないのは当然ですね、だから 山の中にあるおばあちゃんが所有していた私と一緒に暮らすと言っていた伊豆の別荘に行き暮らしました。 とても良くしてくださったホテルの方がたくさんいて、私に 食べ物やお金までくださって送ってくださいました, でも そこは本当は住んじゃいけないらしくて、でも 行き場がなくて、そこに住むことに決めました。 本当は閉まってるはずの扉が、一つだけ空いていて、そこから入りました。 中は 整頓されていて 人が住める環境でした。 そこの自治会の会長さんは、通ってない 水道費に、何十年と放置されてきた場所の会費に一千万要求したそうです。 だから預けて売れるのを待つと、私は住んでいけないと。そうおっしゃっていました。 他の皆さんはそれがあんまりだと理解していたから 私がいることを見逃してくださっていました。 電気ガス水道もなく 空き家に等しい あの家で私は暮らし始めました。 静かに穏やかに生きたかった。 そこでの生活は私の求める全てがありました 。 朝起きて 何も起きないこと 苦しい思いをさせてくる人間がいないこと 何かに拘束されるということがないこと 自由で穏やかで、生の実感を感じていました。 何よりおばあちゃんがそばにいるような気がしてあの人の思い出の場所で生きていることで暖かく感じたんだ。 そこで終わったって僕は良かった。 この土地で、命を終わらせようと思いました。 でもダメなんだ 寂しくなっちゃって 悲しくなっちゃってさ 当たり前の普通を得られなくて悪いことした人だけが すごいいい目にあって人生を謳歌してる。 どれだけ抑え込んでも憎しみと苦しみが 私を苛むんです。 お腹はいつも空いていて表を大っぴらに歩くこともできなくて、それでも優しくしてくれる方々がたくさんいました。 でも優しくされればされるほど自分はそれにふさわしくないと苦しい思いをしました お仕事のお話をくれる方がたくさんいました 中にはお家に住まないかと 建て増ししてくれるとまで言ってくれた方がいらっしゃいました 以前 ホテルでよくしてくださったその女性は私を母と思って良いんだよって僕に言ってくれた。 新しく 越してきたおじさんは僕にとっても優しくしてくれた。お仕事もさせてくれてご飯もくれて お話も聞いてくれた 風呂にも連れて行ってくれた とってもとっても嬉しかったんだ。 白髪のおじいさんは僕の話をよく聞いてくれて お寿司を食べさせてくれたり楽しい話を教えてくれた 写真を撮ってくれた、釣りにも連れて行ってくれたんです。 本当に大事な人たち。僕の宝物。 でも僕はそんなことにふさわしい人間じゃない 汚くて醜くくて私がいることで大きな災いが降りかかる そんな 確信めいた予感に囚われていました。 だからまたその人達の前から消えました。 絶対に絶対に絶対に傷つけたくない。死ぬより怖いことだ。 ある日のこと ある話を聞きました 購入希望の方がやってくると、私の親戚がやってくると、自治会長が来ると。 私は 私は走って走って走って走って気づいたらお家の中で丸まって震えていました そして出て行くことを決めました。 お世話になった方々のもとへ別れを告げ、去りました。 炭焼き のお手伝いで一生懸命やっていつかお金をまとめてあげるよ そう言ってくれてました。 僕がそんな状況にあることを知ってるのにお金をくれなかった。 それもまた 悲しかった。 それ以上に恥ずかしかった、だって僕はくれなかったなんて思ってしまったんだから。 歌を聞かせてくれたじゃないか、ご飯をくれたじゃないか。 こんな僕を 構ってくれた 優しくしてくれた それ以上は求めてはいけないと思って愛した土地を離れました。 行く先々 どこにも行けなくて死ぬ寸前まで追い込まれながらもホームレスをしていました。 ひとつところにとどまれないし 真冬だったから寒くて寒くて伊豆の熱川で熱に助けられながら生きていきました。 そしてそれにも限界を迎え 食料品 すら買えなくなった時、私は、私を地獄に追い込んだ両親にすがってしまった。 私の罪は生きたいと願ってしまったことです。 だからまた地獄に引き戻された。 地獄というには失礼ですね、地獄は罪に対して 裁きを与え魂を清める慈悲の場所なのですから。 煉獄と言っていいのかもしれません。 そしてまた 毎日毎日毎日毎日叩かれて叩かれてた 叩かれていじめられていじめられて、私は大川で得た生きたいと願う気持ちを失って、死を乞い願う人間に戻りました。 人間からまたヒト科の猿になりました。 面倒を見切れねえと言われた結果 私はシェアハウスに移り住むことになりました。 お金はいつもなくてご飯も食べれなくて人も怖くて部屋から出れなくて それでも普通を求められて頑張れ頑張れ頑張れ頑張れと鞭を振るわれ続けました。 もう私は頑張れません。 もう私は考えることに疲れた。 死にたいという思いを、カウンセリングを受けたいという思いを話しました でも結局 伝わらなかった。 貴方が自殺したら私も自殺する、人殺しだね。 そう伝えられました、カウンセリング自体も精神科の受診も自分に酔ってるだけだから甘えだからと言われ生きるためのギリギリの金銭だけを与えられて今日まで 地獄のただ中を生きてきました。 生きるに能わず、死ぬことも許されず、ただただ火に炙られ続けるのみ。 それでも私は信じること 優しいこと 身に受けた悲しみが全てではなかったから、それを大切にします。 同じ痛みを人に味あわせるのは、嫌なんだ。 この悲しみと苦しみの連鎖を、許すことで私1人の犠牲で納めることができるなら、もう私はそれでいい。 少なくとも私は私自身を人と思って 人生を終えることができるのだから。 あの人たちみたいな、かわいそうな怒りんぼにはなりたくない。 ですが いよいよ 死を望まれてしまいました。 どうしようもない 28歳になるまで続けて、本当にもう利用価値がなくなったから私は死を望まれています。 私の人生は 何だったのでしょうか 生まれた意味はなく、死ぬ意味もまたなく、ただあるがままに始まり、終わるだけ。 そこに意味を見出すのは、人の業なのです。 パンドラの箱の話を知りました。 その箱の中にはありとあらゆる災厄が詰められていて、箱を開けた途端に災厄が飛び出してしまい世に罪が溢れてしまったと。 それでも最後に残されていたのは希望だと。 私はこう思います、初めから箱に詰まっていたのは全てが欲そのものであり、希望もまた欲望に等しいのだと。 希望が箱に残っていたのは 逃れる必要がなかったからです。 希望だけが多くの欲望を食らい潰し、叶えることが出来る願望器だからです。 ならば私は希望を配るものになりたい、その希望の種が良いものとして人を、世界への感謝と自然との調和を根付かせ、性善で支配し導くというのならば、私自身が許すことを選択することで 私は人になれるのではないか。そう 仮定しました。 私が人として死ぬためには、人として生きなければなりません。今はもう死んでいるに等しいのですから、人として行き 人として死ねればきっと穏やかな眠りにつけると そう信じています。 もっといい方法はあるのに もう考えるのも、戦うのも、疲れました。 いい父親といい母親を演じる両親が怖くて、哀しくて、つらいです。 ですが、周りからすれば私が気持ち悪く可哀想な人です。 理不尽に対する怒りも悲しみも 胸にあります、当然憎しみも育ち恨みもありましたが、その双方とも枯れ果てました。 結果として 私は一つの結論に至りました。 許すこと。 そして前へ進むこと。 そのためには 両親との関係を解消しなければなりません。 現状 私が生活保護を受けたり 好きな仕事を始めたりしようとするたびに あなたはいいね やりたいことやれていいね。 また同じことが始まりましたが、私は続けようとしました。 結果として 母がとった行いは食事を取らなくなったり、お腹がすごい痛いことを隠して自殺未遂をすることなどでした。 私のせいなのかな、聞くまでは分かりません なので聞きました。 その通りでした。 私の苦しみは また始まりました、私は私の人生を生きようとすれば それはすなわち 親を殺すに等しいことになるのだから。 物心ついてから、23年、計28年間の人生の中で生まれて初めて逆らっています, 7年かかりました。 シェアハウスの中でたくさんの人と出会って話すことも頑張って仲間になれたのかな よくしてくれた方がたくさんいます。おかげで 客観的な視点を持つことができました。 死にたいけど、生きたい。 自分の人生を生き抜いた上で終わりを迎えたい。 自分が虐待されていた事実に気づくまで、確信を持つまで 28年間 ここから取り戻すには大変な苦労はあるでしょうが それでも私は負けません 逃げません くじけません。 ですので、父と話すためにメッセージを送りました。 今問題になっていること、これで最後になるのでせめて一度助けて欲しいと。 『人の意見や人の気持ちをもっと考えないと何をするにもうまくいかないんじゃないかと父さんは思うよ。 本当にどうにか現状を変えたければ、大事な人を悲しませるような事をしてはダメだと思う。 仕事を継続しようとするならば、我慢や辛抱、努力がなければ続ける事は難しいかもな。 変わりたければ人の意見、気持ちに真剣に向き合わないとだな。』 『聞いて何か良い事あるのか? それよりも今は お前がこれから先、頑張って行こうと思ってる事に頭使った方が良いんじゃないかと思うけどな。 過去を振り返ってる状況じゃないんじゃない そんな事考えてたら前には進めないよ。』 『話は聞くけど、お前が思う通りになるかはわからないよ。 お父さんの事をよく知ってるだろ。』 殺す 今そんな考えに取り憑かれています。この人達は本当に本当に自分を 善人だと思ってる。 自分たちのしたことの意味に、身を振り返るようなことは一切しない。 何も。何もかもが、私のしたことは。 信じたかった。私が物ではないと。心のどこかで 信じていた。 1から10まで何もかも全部。嘘だった。 母さんを助けて欲しいということ、父さんはもう苦しまなくていいこと。かつての事実を胸に収め 私は独りで行くからそれでいいと。 人として生きることを、許して欲しい。 でも何も伝わらない。だって初めからなかったことだったんだから。 それがあの人達にとって事実で真実で。だから俺という存在を消したんだ。 俺は 俺はもう 疲れ

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