
私の中学校には、「三枚目の鏡」という噂があった。
北校舎二階の女子トイレ。洗面台の前には、横並びに三枚の鏡がある。けれど一番右の鏡だけ、昔から少し歪んでいた。
その鏡を、放課後の六時ちょうどに覗いてはいけない。
もし覗いてしまうと、鏡の中の自分が一拍遅れて動き出す。そして、その日の夜に夢の中で、鏡の中の自分と入れ替わる。
そんな噂だった。
もちろん、最初は誰も信じていなかった。
ある日の放課後、クラスの里奈が言った。
「今日、確かめに行かない?」
里奈は怖いもの知らずで、怪談を聞くと必ず試したがるタイプだった。私は嫌だったけれど、断りきれず、友達の沙耶と三人で北校舎へ向かった。
六時前の校舎は、昼間とはまるで違っていた。廊下の蛍光灯は半分だけ点いていて、窓の外は青黒く沈んでいる。運動部の声も遠く、校舎の中には私たちの上履きの音だけが響いていた。
女子トイレに入ると、洗面台の鏡が暗く光っていた。
左、真ん中、右。
三枚目の鏡だけ、確かに少し歪んでいる。そこに映る里奈の顔は、目元だけが不自然に伸びて見えた。
「六時ちょうどまで、あと一分」
里奈はスマホを見ながら笑った。
私は入口の近くに立っていた。すぐ逃げられるように。
六時になった。
チャイムは鳴らなかった。ただ、どこか遠くで水道の蛇口が、ぽたり、と鳴った。
里奈が三枚目の鏡を覗き込んだ。
「ほら、何も起きな――」
言葉が途中で止まった。
鏡の中の里奈が、笑っていた。
でも、目の前の里奈は笑っていなかった。口を半開きにして、怯えた顔で固まっていた。
鏡の中の里奈だけが、にいっと口角を上げている。
沙耶が小さく悲鳴をあげた。
「里奈、離れて!」
私が叫ぶと、里奈は一歩後ろへ下がった。
すると、鏡の中の里奈は、遅れて一歩下がった。
まるで、真似をしているみたいに。
里奈は震える声で言った。
「今、あいつ……私より先に笑った」
その瞬間、トイレの電気が消えた。
真っ暗になった洗面台の方から、こつん、と何かを叩く音がした。
こつん。こつん。
鏡の内側から叩いているような音だった。
私たちは叫びながら逃げた。
次の日、里奈は学校に来なかった。
風邪だと聞かされた。けれど、放課後に里奈から電話がかかってきた。
「ねえ、昨日のこと、覚えてる?」
声がかすれていた。
「覚えてるよ。大丈夫?」
「大丈夫じゃない」
電話の向こうで、里奈が息を飲む音がした。
「鏡の中の私が、ずっと私を見てる」
「鏡を見なければいいじゃん」
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