
長編
楽しく安全な登山を
しもやん 3日前
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真新しく、つい最近この道標が塗りつぶされたことを意味していた。それに気づいた瞬間、いつもは気にならない木々のざわめきがどうにも気になりだした。がさりと音が鳴っただけで、道標を塗りつぶした狂人が潜んでいるのではないかという妄念が次々と湧いてくる。
急いでクラシ北尾根ルートに復帰した。本来の位置から大きく移動させられ、真っ赤に塗りつぶされた道標。皮肉めいた標語は犯行と同時に書き足されたもののようだった。一年前の写真にそんな文字はなかったからだ。
ワサビ峠を北上し、作ノ峰にいたる。ここにもいくつか山岳名を記したプレートがぶら下がっていたのだが、そのどれもが真っ赤に塗りつぶされていた。〈楽しく安全な登山を〉。例の標語も欠かさず添えられている。
普段のわたしはめったに地図を開いたりせず、方角が合っていれば問題なしとして勘を頼りに歩く怠惰な登山者である。だがこのときばかりは五分おきくらいに地図を広げ、現在地を見失わないよう相当気を配った。何者かの悪意が山に満ちていた。
しばらくは迷い込みそうな支尾根もなかったので快適に歩けていたのだが、どうもおかしい。なにがおかしいのかはわからないのだが、違和感がずっと付きまとっている。意識して木々を眺めているとすぐにわかった。枝に巻いてあるペナントがないのだ。
登山道には登山者を正しい道に誘導する目的で、一定間隔で赤や黄といった目立つカラーのテープが枝や幹に巻きつけられている。それを辿っていけば無事に下山できるという寸法である。ただしペナントがあるからといって必ずしも正しい道にいるとは限らない。マニアが自分のルート開拓用に巻いたものだったり林業の作業道に巻かれていたりするものもあり、これに頼り切った登山をすると深刻な道迷いに陥ることもある(わたし自身ペナントが巻かれている=正しい登山道という認識を振り捨てるまで、何度も道に迷った経験がある)。
予習で閲覧した記事にはバリルートとは思えないくらい密にペナントが巻いてあるという記述があった。ところが現場にはほとんど巻かれていないのである。意識して歩いていると、記事と現場の齟齬がなぜ発生したのかがすぐに判明した。
一年前まで巻かれていたであろうペナントはすべて、堆積した落ち葉に埋まっていたのである。老朽化したテープが自然にはがれることはあるし、細い枝に巻かれたものは枝ごと折れて役目を終えることもある。けれどもわたしが見つけたテ
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- 人の悪意ほど恐ろしいものはありませんね。この老人のしていることは、「犯罪」です。この話を読んでからは、山怖い話の中でも、秀逸な実話だと思いました。慈母観音