
長編
楽しく安全な登山を
しもやん 2日前
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うまでもないだろうが、夜間ハイクを計画に織り込む登山者はまれである。夜の山は夜行性の動物が活動し始めるし、歩きなれていないと深刻な道迷いに陥りやすい。積極的に習得する技術ではなく、日没に間に合わなかったときの保険としての意味合いが強い。夜の山で人間に会う機会は限りなく少ない。
「兄ちゃんはこれから下山かね」と老人は親しげに話しかけてきた。
「日没に間に合わなくて。秋は陽が落ちるのが早いですね」
「気をつけてな。中峠経由で降りるのかい」
「そうです。そちらは?」
「俺はこれから猫岳までいって幕営だよ」
老人は日没後の山中をなお一時間以上も歩いてからテント泊するという。相当のマニアである。わたしは既視感を覚えた。どこかで会ったことがあるような気がする。特徴的な話しかたと陽に焼けた顔。すぐに思い出した。
「もしかしてイブネでお話しした……?」
「あのときの兄ちゃんかい。また会ったな」
こんな調子でしばらくわたしたちは山談義に花を咲かせた。夜間ハイカーは同族に巡り合うことがまれなので、自然会話も弾む。ふと気づいて時間を確認すると、17:30すぎだった。本格的に暗くなる前に下山しておきたいと伝え、暇を告げた。
「引き留めて悪かった」老人は手を振って歩き始めた。「それじゃ、楽しく安全な登山を」
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- 人の悪意ほど恐ろしいものはありませんね。この老人のしていることは、「犯罪」です。この話を読んでからは、山怖い話の中でも、秀逸な実話だと思いました。慈母観音