
【取材メモ・8月19日】
Kさん(仮名・40代・男性)。職業、動物写真家。
「動物の話ではないんですが」と最初に断った。
Kさんは二十年以上、野生動物を撮ってきた。
仕事の基本は待つことだ。対象が現れるまで、同じ場所で、同じ姿勢で、息を殺して待つ。気配を消す。存在を消す。そうしてはじめて動物は警戒を解く。
「うまくなりましたか、気配を消すのが」
「なりました」とKさんは言った。「今は完全に消せます」
五年前から、Kさんは山の中に定点カメラを設置するようになった。
人が入らない場所に無人カメラを置いて、長期間記録する。熊の生態調査の依頼だった。
「どんなものが撮れましたか」
「熊、鹿、狐。想定内のものばかりでした」とKさんは言った。「最初の二年は」
【取材メモ・8月19日・続き】
三年目から、カメラに人が映るようになった。
山菜採りか登山者か。最初はそう思ったとKさんは言った。だが映り方がおかしかった。人物はいつもカメラの正面に立っていた。カメラの位置を知っているような立ち方だった。
顔は判別できなかった。距離があったわけではない。ただ、なぜか判別できなかった。
「同じ人物ですか、毎回」
「わかりません」とKさんは言った。「判別できないので」
気になったKさんは、カメラの設置場所を変えた。
別の木に付け替えた。角度も変えた。以前のカメラがあった場所からは死角になる位置だ。
翌月、映像を確認した。
人物が映っていた。
新しいカメラの正面に立っていた。
【取材メモ・8月19日・終盤】
ここでKさんの話し方が変わった。
それまで淡々としていた。事実だけを順番に並べていた。
「場所を変えたのは、誰かに言いましたか」と私は聞いた。
「言っていません」
「記録しましたか、変更した日時や場所を」
「フィールドノートに書きました」とKさんは言った。「現場には持っていきません。事務所に置いてあります」
「その後も場所を変えましたか」
「三回変えました」
「毎回映りましたか」
「毎回、正面に立っていました」
私はしばらく考えてから聞いた。
「Kさんは二十年間、動物を撮ってきた」
「はい」
「気配を消して、対象に気づかれないように」
「はい」
「その技術が、今は完全に消せるレベルになっている」
「そう思っています」
Kさんは私の次の言葉を待った。
「定点カメラを設置しに山に入るとき、Kさん自身も撮られている可能性を考えましたか」
Kさんは答えなかった。
しばらくして、「考えませんでした」と言った。
後日談:
- Kさんが最初に定点カメラを設置したのは五年前だ。 人物が映り始めたのは三年目からだという。 最初の二年間、何も映らなかった。 Kさんは二年間、山に通い続けた。カメラの位置を調整し、角度を確認し、記録を続けた。 その二年間のことを、私はまだ考えている。 映っていなかっただけで、いなかったわけではない。 それともKさんが気配を消す技術を持っていると確認するのに、二年かかったのかもしれない。
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