
伯父がひとりで守ってきた渡し場の詰所というのはね、
川べりのいちばん端っこにあるんですけど、不思議と人の気配が途切れない場所だったんですよ。
朝は通勤で船に乗る人がいて、昼は畑に渡る人がいる。
用もないのに腰を下ろして、湯呑をすすりながら川を見て、何となく話して帰る人もいる。
渡し舟っていうより、村の声が集まって流れていく細い水路みたいな感じでね。
秋も終わりかけた頃でした。
久しぶりに実家へ帰って、私が伯父の手伝いをすることになったんです。
最終便が終わって、鎖を巻いて、板戸を閉めて、濡れた救命具を干して、帳面を棚に戻す。
詰所の中は灯油と川泥の匂いが混じっていて、指先からじわっと冷えてくる。ああ、もう冬が来るな、なんて思いながらね。
そのときです。
桟橋のほうから、ぎい……っと、湿った木が軋む音がしたんですよ。
足音っていうほどはっきりしたものじゃない。ただ、板がゆっくり沈む感じだけが耳に残る。
私は戸口に出て、暗い水面を見ました。風はないのに、膝のあたりを冷たい空気が撫でていく。
桟橋の先、係留索の影に、人が立っていたんです。
背は低い。大人なのか子どもなのか、距離と暗さで分からない。
頭から何か被っているらしくて、顔の輪郭だけがぼんやり浮かんでいる。私は思わず声をかけました。
「もう、終わりましたよ」
返事はありません。ただ、こちらを向いた、そんな気配だけがあった。
その瞬間、水の匂いが急に濃くなった気がしてね。反射的に、詰所の中に置いてあったライトを取ろうと背を向けたんです。
ほんの一瞬ですよ。
ライトを掴んで振り返ったら、桟橋には誰もいない。
逃げ道はないんです。周りは柵と川で塞がれているし、岸へ降りれば必ず土が崩れる。
なのに、板の音もしない。衣擦れも聞こえない。ライトで照らしても、波打ち際には何も映らない。
伯父に言おうと思ったんですが、詰所の奥で帳面を繰っている背中を見たら、言葉が引っ込んでしまってね。
見間違いだ、疲れてるんだ、そう思って片づけを続けました。
それで終わりなら、ただの勘違いですよ。
でもね、その夜、同じことが三度あったんです。
巻き上げ機の脇。
乾いたロープ束の横。
詰所の裏手の水桶のそば。
毎回、順番は同じでした。
先に、気配が来る。湿った木の匂いが濃くなって、空気が一段冷える。それから、板がわずかに沈む。影が見える。
声をかけると、立ち止まって、こちらを向く。返事はない。近づくほど、輪郭が薄くなる。
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