
新婚旅行で、私たちは古びた旅館に宿泊することにした。外観は趣のある木造で、暖かい灯りが漏れていた。部屋に通されると、床の間には不気味なお札が貼ってあったが、当時はそれを気に留める余裕もなかった。
夜、私たちは温泉に浸かり、夫と共に楽しい会話を交わしていた。しかし、次第に夫の表情が変わっていくのに気づいた。いつもは冗談を言って笑わせる彼が、急に静かになり、ぼんやりとお札を見つめているのだ。私は心配になり、声をかけた。「どうしたの?」と。
彼は「何かがいる…」と呟いた。その言葉が耳に残り、ぞっとした。私は彼を元気づけようとしたが、彼の様子はさらにおかしくなり、急に部屋を出て行こうとした。「待って、どこに行くの?」と叫ぶと、彼は無言で走り去った。
私は不安を抱えながら、彼を追いかけた。廊下を進むと、彼がどこかに消えてしまった。旅館の中を探し回ると、ふと廊下の突き当たりにある小部屋のドアが開いているのが見えた。中に入ると、そこには夫が座り込んでいた。
彼は目を瞑り、まるで別人のように穏やかな表情をしていた。声をかけても反応はなく、恐る恐る近づくと、彼の手にはあのお札が握られていた。私は思わず叫び声を上げ、急いで彼の手を引き剥がそうとした。その瞬間、彼は目を覚ました。「何が起こったんだ?」と驚いた様子で。
帰りの車内、夫はその夜の記憶を全く失っていた。私が不安に思っていると、「あのお札、剥がしちゃダメなんだろうな」と彼が呟いた。そう思うと、私は背筋が凍る思いがした。あれは剥がしてはいけないものだったのだ。旅行が終わっても、あの旅館に泊まることは絶対にしないと決めた。お札の存在を忘れずに、今後の旅行を心に刻むことにしたのだった。
その日から、どんなに素敵な宿でも、お札のある部屋には二度と足を踏み入れないと誓った。私の心には、あの不気味なお札の記憶が生々しく残っていた。
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