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遺影
長編

遺影

匿名 2013年1月9日
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季節は春で、僕がまだ小学校にも上がっていなかった頃の話だ。 その日、僕は家族と一緒に母方の祖父母の家に遊びに来ていた。 まだ夕飯を食べる前だったから、時刻は午後六時か七時か、その辺りだっただろうか。大人たちは居間でおしゃべりをしていて、僕はその隣の神棚のある部屋で、従姉で二つ年上のミキちゃんという子とおままごとをして遊んでいた。いや、遊ばれていたと言った方が正しいかもしれない。 ミキちゃん曰く、近所迷惑なほど泣きわめいているという子供役の人形を一生懸命あやしながら、夫役だった僕は、ふと誰かの視線を感じて、背後を振り返った。 後ろには、誰もいない。 ただ、天井近くの壁には、僕が生まれる前に死んだという、曾祖父の遺影が、こちらに覆いかぶさるように、少し傾けてかけられてあった。 白黒写真の中から、ひいおじいちゃんがこちらをじっと見ている。何となく、居心地の悪さを感じた僕は、立ち上がって、人形を抱いたまま、その視線から逃れようと部屋の反対側に移動した。 けれど移動中も、移動した後も、曾祖父の視線はしっかりと僕を追いかけていた。 「何してるん?」 とミキちゃんが不思議そうに尋ねて来る。僕は写真を指差して言った。 「ひいおじいちゃんがね……、さっきからずっと僕を見てるんよ」 今思えば何ということはない。お札などで試してもらえれば分かると思うけれど、平面に書かれた人の顔と言うのは、真正面から見て視線が合っていれば、見る角度を変えても、視線が外れることはないのだ。 でもその時は、どうして写真の中のひいおじいちゃんが僕を見つめているのか、不思議で不思議で仕方が無かった。 ミキちゃんは、遺影を見上げて、それから僕と同じように部屋の中をうろうろ移動した。 「ホントだ……」 ミキちゃんは少し困った顔をして、それから僕に向かって、「ちょっと待っててね」 と言い残し、襖を開けて大人たちがいる隣の居間へと行ってしまった。 僕は人形を抱いたまま、再び遺影を見上げた。僕のことを見つめる曾祖父は、えらく気難しそうな顔をしていた。 しばらく待っていると、突然、向こうの部屋で笑い声が上がった。襖が開いて、ミキちゃんが戻って来る。どうやら、写真の中の人がこちらを見つめて来る理由を、大人たちに聞いて来たみたいだ。 「あんね。シャシンを見るとね。どこにいても、向こうもこっちを見ている様に見えるんだって。それは当り前のことなんだって。だからね、不思議なことでも、怖いことでも何でもないんだって。……分かった?」 いまいち良く分からなかった僕は、曖昧に首を傾げた。すると、ミキちゃんはますます困った顔をして、「ちょっと待っててね」 と言ってまた襖の向こうへと行ってしまった。 また大人たちの笑い声が聞こえた。 戻って来たミキちゃんは、遺影から見て左右、部屋の両端を交互に指差した。 「じゃあね。○○(←僕の名前)はこっちにおってね。あたしが向こうに行くから。それから、せーの、で写真を見るんよ。それで、ひいおじいちゃんが、あたしのことも○○のことも見てたら、それはおかしいでしょ? 一人は二人を一緒に見れないんだから」 僕は頷く。確かに、あの写真の位置から、部屋の両端にいる二人を同時に見ることは出来ない。 つまりミキちゃんは、部屋の左右から同時に写真を見上げて、二人が同時に写真の中の人物に見られている、というあり得ない状況を創り出すことで、それがただの『現象』 であって、不思議なことではないんだよ、ということを僕に伝えたかったのだ。 けれども、当時幼かった僕には、その実験の結果がどういう結論に至るのか、そこまで理解する知恵も脳細胞もまだ無く、ミキちゃんに言われるままに、ただそこに突っ立っていた。 ミキちゃんが部屋の向こう側に立った。 「じゃあいくよ。……せーの」 声に従い、遺影を見上げる。 「ほら、あたしのほう見てる。○○のことも見てるでしょ」 即答できなかった。 「……ううん」 見上げたまま、僕は首を横に振る。 「ひいおじいちゃん、ミキ姉ちゃんのほう見てるよ」 怖がらせてやろうだとか、そういう気持ちは微塵も無かった。見えたままを言っただけだ。写真の中のひいおじいちゃんの黒目の位置が先ほどとは違っている。明らかに僕でなく、ミキちゃんの方を見ていた。 「僕のことは見てないよ。ミキ姉ちゃんのほう見てる」 もう一度言った。 空白の時間が、数秒あった。 そして突然、ミキちゃんが大声で泣き出した。あまりに唐突だったので、僕は大いに驚いて、慌てた。抱いていた人形を放り出し、どうにかして泣きやまそうとしたけれど、無駄だった。 泣き声を聞き付けた大人たちが、ゾロゾロと部屋に入って来た。ミキちゃんが、「○○が怖いこと言った~」 と泣く。 唖然としていると、両親に、ミキちゃんを泣かした犯人としてひどく怒られた。あまりの理不尽さに、僕も泣いた。『ひいおじいちゃんが、僕じゃなくてミキちゃんを見ただけだ』 といくら説明しても、両親は信じてくれなかった。他の大人たちもそうだった。 ミキちゃんは、それから僕と話もしてくれなくなった。一応後日仲直りはしたけれど、その時は、僕は大人たちに問答無用で嘘つきの烙印を押され、何だか無性に悲しかった。 けれども、その中でただ一人、眠っていて、騒ぎに乗り遅れた曽祖母だけは、夕食の後、落ち込んでいた僕をきにかけてくれて、僕の話をうんうんと頷きながら聞いてくれた。 「そおかあそうかあ。そらあ、貧乏くじを引いてしもうたのう」 僕の頭を優しく撫でながら、ひいおばあちゃんは静かにこう言った。 「この家には男が多いけんのう……。子供も親戚も男ばあよ。あの人は、娘が欲しい欲しい言うとった。……きっと男の子のおまんよりも、女の子のミキの方が可愛い思うたんやろうねぇ……」 理不尽だ。 僕はまた泣いた。

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