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長編

匿名 2024年11月13日
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私の母は所謂ネグレクトで、物心ついた頃にはもう放置されてることを自覚していた。 当然、服はいつも同じものを着て汚れていたし、食べ物も母親が残したご飯を食べて、部屋にいると邪魔だと怒鳴られていたので、小さな庭の隅でいつも地面に木の枝で絵を描いていた。 学校では汚い、臭いと揶揄われいじめられていたので、家と同じように授業の間も校庭の隅で地面に絵を描いていた。 先生方は家庭に問題があると把握してくれていたので、親と面談したり児相に相談してくれたが、外面の良い母親はのらりくらりとかわし続けていた。 おそらく一人親の手当てが貰えなくなるのが嫌だったのだろうと今は思う。 しかし不思議と寂しいという感覚は無く、父親もいなかったので、配偶者がいない母親とはこういうものだと当時は勝手に思い込んでいた。 私が生まれて間もなく両親は離婚し、父の顔はもちろん記憶になく、その親族とも交流はない。 母親の親族は結婚する際に絶縁したと聞いていたので、同じように交流は一切なかった。 授業参観などで同級生たちが親とコミュニケーションを取る風景を見て、ああ、親子関係とはこういうものなのかと子供ながらに考えていた。 8歳の時、母親が妊娠していることに気付いた。 日に日に大きくなっていくお腹を見て、赤ちゃんがいるの?と聞いた。 母は、そうだよ、あんたはお姉ちゃんになるんだよ。と言った後、ようやく楽ができると喜んでいた。 新しいお父さんが来るのかな、と思ったのも束の間、結局母は結婚する事はなく、妹が生まれた後も変わらず私たち姉妹には無関心だった。 生まれた妹は本当に可愛かった。 私の指を握ってニコニコと笑い、母親がいなくてもあまり泣くこともなかった。 幸い母は粉ミルクを買っていたのと、一度だけ作り方を教えて貰ったので、毎日飲ませた。 オムツのやり方も見よう見まねで覚え、私が妹の面倒を見ると分かると、母は当然のように何もやらなくなり、毎日遊び歩いて私が休日の時は帰ってこない日も多々あった。 その頃には家事も一通りできるようになっていたし、妹には私のように嫌な思いをさせたくなくて、数少ない服を綺麗に洗濯して着せ、歯が生えた頃には学校の先生に離乳食の作り方を教えてもらって食べさせた。 食費は母親の財布からこっそり小銭を拝借し、特価の野菜やお肉を買っていた。 私が学校でいない間、母は一応家にいたので、最低限妹の面倒は見ていたようだった。 妹は夜泣きをしてもミルクを飲ませたりオムツを替えればすやすやと眠ってくれたので、手がかかると思ったことはなかった。 とにかく何があってもこの子のことは私が守ると心に決め、毎日必死に生きていた。 妹が小学校に上がる頃、母は若い男の人を家に連れてきた。 そしてお察しの通り、私たちがいようが気にせず家の中で男女の関係を結ぶ行為を繰り返した。 私は慌てて妹を外に連れ出し、どうしようか悩んだ。 頼れる人もいないし、そんな事を相談できる友人もいなかったので、恥を忍んで学校の先生に相談した。 その時の中学の先生も、家庭事情を把握してくれていたので、すぐに児相に連絡してくれた。 それからすぐ、児相の職員さんがボランティアでやっている施設で一時預かりという形を取って保護してくれた。 もちろん母親に連絡がいったが、ただ一言、「そうですか」と言っただけだったそうだ。 私はもう何も感じなかった。 妹を守れるならそれで良かった。 それから半月もしないうちに、母親が迎えに来た。 白々しく「私が悪かった、寂しい思いをさせてごめんね」と言った。 私は、あの男の人とは別れたんだな、と思った。 家事をする人がいなくて困っているんだろうなと。 妹は母と男の人の行為をしっかり見たわけではなく、それもよく分かっていない様子だったので、家にある数少ない私物を取りに行きたかったのもあり、一時帰宅という形で家に帰った。 それからしばらくは家で過ごした。 また前と同じように母親は遊び歩くようになり帰ってこなかったし、妹と二人で暮らしている状態だったので平和だった。 私がいなくなると家が汚れると知った母は、ご飯代を最低限渡すようになり、妹も元気に過ごしていた。 そんな生活が続き、私が中学を卒業する頃、母親が蒸発した。 が、驚きはまったくなかった。 いてもいなくても同じ人が消えたところで何も感じなかった。 ただ、生活費が無いのは困るし、妹は少し不安そうにしていたので、「大丈夫だよ。お姉ちゃんもっと頑張るし、卒業したら働いて妹ちゃんの好きなケーキお腹いっぱい食べさせてあげるからね。それから、お気に入りの絵本に登場するような、海が見える可愛いお家にいつか住もう」と約束した。 妹はとても喜んではしゃいでいた。 しかしやはり中卒で働けるところは少なく、田舎ということもありかなり限られていた。 しかし、協力してくれる大人もいてくれて、個人経営のホームセンターで品出しをする仕事が決まった。 児童養護施設に入所することも決まり、少し気持ちが楽になった。 仕事が始まってから毎日、自分なりに精一杯働いた。 初めて給料が出た時は、約束通り妹の好きなケーキをたくさん買って帰った。 妹は凄く喜んで、苺のショートケーキとレアチーズケーキ、生チョコケーキをいっぺんに平らげた。 ありがとうお姉ちゃん!とニコニコと笑う顔を見て、もっと頑張ろうと思えた。 もう私には妹しか生き甲斐がなかった。 妹の役に立ちたくて、ほつれた服の裾を縫ったり、手作りのお菓子を作ったりと自分なりに努力した。 ただ、私はしっかり勉強してきたわけではないし頭も良くないので、宿題を見てあげる時はうまく教えられない事が多く、何度もごめんね、と謝った。 妹は、お姉ちゃんが教えてくれるだけで十分だよと言ってくれた。 そして妹は10歳になった日、忽然と姿を消してしまった。 誕生日にリクエストされていたキャラクターケーキを買って、美味しそうにケーキを頬張る妹の姿を想像しながら帰った私を出迎えたのは、青い顔をした施設の職員さんだった。 いつものように学校から帰ってきた妹は、お姉ちゃんに手紙を書くと言って子供たちが集まって遊ぶ共同スペースで絵と手紙を描いていたそうだ。 その姿を最後に、誰も目撃していないとのことだった。 もちろん職員総出で探し回り、警察にも協力してもらったが、結局見つからなかった。 妹が行きそうな場所、お気に入りの公園、どこを探しても妹の姿はなかった。 新聞にも載ったし、地域住民の人たちも協力してくれたが、徒労に終わった。 本来の主役を迎えられなかった誕生日ケーキは、施設の子供たちに振る舞った。 私はもう何もやる気が起きなかった。 何も考えられず、仕事も行かなくなってしまった。 初めて生きることが面倒に感じた。 そんな私を気遣って、職員さんたちは色々とコミュニケーションを取ろうとしてくれたけど、私の心は冷えていく一方だった。 職場では休職扱いにしてくれて、落ち着いたら顔見せてねと言ってくれた。 なのに、ありがとうございますという言葉が出てこなかった。 ただただ、本当に自分が空っぽになったようだった。 それから約一年後、私の叔母を名乗る30代くらいの女性が施設にやってきた。 職員さん曰く、私の母親の妹だと。 絶縁したと聞いていたので少し驚いたが、母親の行方でも追っているのだろうかと薄ぼけた意識の中で考えていた。 叔母は、私を見るなり目に涙を溜めて手を握って言った。 「遅くなってごめんね。迎えにきたよ」 何を言っているんだろう、と思った。 母親が借金でもしてたのかな、この人にどこかに売られるのかな、また何かを気にしなきゃいけないのかな、と久々に思考が働いた気がした。 職員さんは、「長い間大変だったね。あなたはもう大人と言われる年齢になったけど、どんな人だって心を癒さなければいけない時がある。あなたが今まで頑張ってきた分、しっかりゆっくり休みない」と言った。 私はもう19歳になっていたし、そうか、とうとう退所しなければいけないのか、と思った。 どのみち全てどうでも良かったので、言われた通り期限内に荷物をまとめて、叔母を名乗る人が迎えにくる日をぼーっと待った。 その間、職員さんは私が住むことになる地域や叔母の話をしてくれていたが、全然頭に入ってこなかった。 当日、約束の時間より早くきた叔母は、私の顔を見るなりにっこりと笑った。 そして妹が描いてくれた似顔絵や折り紙を入れたバッグを見て、小さく「ありがとうね」と言った。 そのまま職員さんたちに挨拶をして、職場に向かい別れの挨拶をした。 職場の人たちは、良かったねぇと喜び、退職金きちんと払うからね!と肩をぽんぽんと叩いて泣きながら励ましてくれた。 恥ずかしい話、私は沢山の人たちに支えられ助けられてきたことを、そこで初めて自覚した。 離乳食の作り方を教えてくれた先生、施設を手配してくれた先生や職員さん、そして職場の人たち。 私はひたすら必死に生きてきただけだった。 今まで感謝を伝えたことがあっただろうかと情けなくなり、自分でも驚くくらい泣いた。 ありがとうございます。ごめんなさい。それを繰り返して泣きじゃくった。 叔母含め、みんなとても優しい顔をしていた。 叔母の家は、施設があるところから車で2時間ほど離れた場所にあった。 道中、どうコミュニケーションしたらいいのか分からずずっと黙っていたが、叔母は「あたし一人で喋ってるから気にしないで〜」と言い、これから向かう場所や特産品などの話をいっぱいしてくれた。 到着した家は、とても綺麗に海が見える、可愛い素敵な平屋だった。 妹によく読んであげた絵本に載っていた家に似ていて、不思議な気持ちになった。 叔母は、到着するなり私の手を引いて、部屋を案内してくれた。 ここが今日から私ちゃんのお部屋だよと見せてくれたのは、優しい色合いの家具が揃った綺麗な部屋だった。 嬉しかったけど、同時に色んな感情が湧いてきて複雑な気持ちになり、私は率直に叔母に聞いた。 なぜ今になって迎えにきたのか、私に何かを期待してもきっと無駄になる、私が役に立つことは何もないと。 叔母はしっかりと私の顔を見据えて、「今は何を言ってもあたしのことは信用できないと思う。それは当然だし、私ちゃんの反応はごもっとも。だけどこれからは信頼される存在になれるように努力するし、何より私ちゃんと家族になりたいの。」と言った。 とても真剣な表情で、ずっしりとお腹に響くような言葉だった。 私は勉強も苦手だし、器用に何でもできるわけじゃないけど、叔母さんの恥にならないように頑張ります、と応えた。 叔母さんは、そんな固い事言わなくていいんだよ〜とまたにっこり笑っていた。 なんとなく、笑顔が妹に似ている気がした。 それからしばらくは家でゆっくり過ごして、街や地域の案内をしてもらい、仕事を探した。 叔母は急がなくていいよと言ってくれたけど、付近の地図を覚える為にも色々と行動したくて、中古の自転車を購入して走り回った。 買い物をするお店や駅、自分が働けるような場所を探して、叔母に山ほど相談した。 いつも親身に話を聞いてくれる叔母は、しっかりとサポートをしてくれた。 そして引っ越してから4ヶ月後、コンビニでバイトをする事が決まった。 買って貰った携帯で仕事決まったよと叔母に報告すると、きゃー!良かったねー!ともの凄く喜んでくれた。 その日、仕事から帰ってきた叔母は、いつもよりニコニコと笑いながらじゃーん!とケーキの箱を渡してくれた。 開けると、あの日妹に食べさせてあげられなかった、あのキャラクターケーキが入っていた。 切らないでこのまま食べちゃおう!と言って、大きなスプーンを渡してくれた。 叔母と大きな口でケーキを頬張りながら、美味しいね、とっても甘いねと言って食べた。 食べてる間、二人でポロポロ涙を流した。 この4ヶ月、叔母を見てて思ったことがいっぱいあった。 一緒に健康センターに行った時に見た、右耳の後ろとお尻の両頬にある、左右対象のホクロ。 お臍のすぐ下にある独特なくぼみ。 それは全て妹にある特徴的な個性だった。 私はまた、叔母に率直に聞いた。 笑われるかもしれないし頭がおかしいと思われるかもしれないけど、叔母さんは妹なんじゃないのか、と。 もちろん名前は全然違うけど、笑った時の表情の雰囲気、何かに取りかかる時に手首をくるくると回す癖、炭酸ジュースを飲む時はコップに注いでから氷を入れて泡を楽しむ嗜好、色んな仕草が妹とリンクしていた。 叔母は少し黙ってから、「さあねぇ。でもね、きっと妹ちゃんは元気に過ごしてるよ。私ちゃんの幸せを心から願ってるよ」と言った。 あり得ないことだとは分かってる。 でも、こんな奇跡みたいなことが重なると、そういう思考が生まれてしまう。 それから数年が経ち、私は今コンビニではなく、叔母と一緒に介護施設で働いている。 中卒でも資格が取れると話を聞いて、実務経験を積みながら自分なりに勉強をしている。 たまに私がいた施設に行ってボランティア活動をしたり、お世話になったホームセンターに差し入れをしたりして交流を続けている。 綺麗な家具が並ぶ私の部屋には、妹が描いてくれた絵や、一生懸命折ってくれた折り鶴を飾っている。 その隣に、叔母が描いてくれた年季の入った私の似顔絵と、何度も書き直したであろう気持ちがこもった手紙が並べてある。 それを飾っていた時に、間違えて箪笥に掃除機をぶつけてしまったことがあった。 小さな傷を作ってしまい、叔母にごめんなさい、本当にごめんなさいと何度も謝った。 叔母は、「私ちゃんは昔から謝りすぎ。どんな時だって、私ちゃんが悪いことなんて一度もなかった。これからはごめんの代わりにありがとうって言って!」と言った。 記憶に残る、妹の宿題に四苦八苦していた日。 お姉ちゃんが教えてくれるだけで十分だよと言ってくれたあの時。 私は神様はいないと思ってる。 けど、叔母は私にとって神様みたいな人だ。 許される限り、私は叔母と生きていきたい。

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