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長編

自殺者の心理

しもやん 2024年1月1日
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 わたしにはつい最近まで交際していた女性がいた。  とてもよい関係で、将来を見据えた付き合いとして始まったのだが、ひと月前ほどに一方的に交際終了を告げられた。  理由は先方の両親の介入である。わたしの出自が下賤なのが気に入らないのだという。      *     *     *  クリスマスイヴの日、わたしは山へ入っていた。前日に大寒波が襲来し、多量の積雪が期待できるという山屋にとっては理想的な環境であった。人恋しさを紛らわせる目的で下手に街へ出れば、カップルの海で溺死するのは目に見えている。こういうときは絶対に誰も訪れないマイナーな山へこもり、自分を見つめなおすに限る。そう思っての山行であった。  ルートは以下の通りである。岐阜県揖斐川町春日村にあるモリモリ村に車を駐車→尾根にとりつく→槍ヶ先(北アルプスの槍ヶ岳と一字違いなのに留意。はるか格下の山である)→稜線を北上→適当なところでドロップ→林道合流→林道南下→スタート地点に復帰、であった。どの地点をとっても正規の登山道のない、完全なバリエーションルートである。処女雪をラッセルするには絶好のコースだ。  10:00ジャストに登り始めると、いきなり数センチメートルの積雪に出くわした。まだ標高にして100メートルにも達していない。これはかなりの積雪が期待できそうだった。見込み通りどんどん雪は増えていき、標高700メートル付近からは膝下程度にまで増加、槍ヶ先直下では雪のなかを泳いでいるような塩梅であった。  2時間近くかけて12:10、槍ヶ先(965メートル)に到達。山頂からは伊吹山北尾根の見事な山容が見渡せ、若干見切れていたものの滋賀県最高峰である伊吹山(1,377メートル)本峰も遠望できた。気分はこれ以上ないほど沈んでいたが、寒波襲来後の好天に恵まれた銀嶺はため息が出るほど美しかった。  稜線に乗ってからも積雪はたっぷりあり、わたしは終始雪のなかを泳ぎ続けた。気温は昼過ぎでも氷点下を下回っており、足の感覚は麻痺し、注意力は徐々に薄れていく。機械的に雪のなかを泳いでいると、わたしの意識は交際終了を告げられた恋人へと向かっていった。      *     *     *  彼女の家系は非常に高尚な由緒があり、男性は全員が有名大卒、おまけにルーツは〈大岡裁き〉で有名な大岡越前あたりにあるらしい。彼女本人も大学を副総代として卒業した才媛であった。  いっぽうわたしは労働者階級の四人兄弟の次男で、当然学資はいき渡らず大学に進学すらしていない。ルーツなど当然不明で、おおかた寒村の農民というのがせいぜいだろう。最初から釣り合ってはいなかった。  そんなわたしがなぜ彼女と交際できていたのか、いまだによくわからない。おそらく自助努力だけは怠らない性分だったのがよかったのだと思う。わたしは20代前半から継続的に、年間150冊程度は読書する習慣をつけていた。正規の教育は受けていないけれど、ボーダーフリーの四大卒になら一般教養で負ける気はしない。  そうした独学精神が受けたのか、彼女はわたしをいたく気に入ってくれた。会話は打てば響くようによどみがなく、付き合っていた1年弱のあいだにケンカらしいケンカもなかった。わたしも彼女の人柄に惹かれ、とてもよい関係を築けていた。そう思っていた。      *     *     *  槍ヶ先からの稜線は全面積雪しており、ルートを自分で構築していかねばならなかった。稜線は一見一直線に北へ伸びているようなのだが、ミクロレベルでは細かく東西に尾根が振れている。うっかり支尾根に迷い込めば、春日村の寺本方面に流れる名もなき沢に降りてしまい、雪崩の巣へとみずから飛び込む破目に陥る。慎重にコース取りをせねばならない局面であった。  ところがそのときふと、わたしは言いようのない虚脱感に襲われた。あれは虚脱感だったのだろうか? 適切な表現が見つからない。投げやりな気分、コース取りに対する億劫さ、厳冬期の1,000メートル級稜線にいながら、ライフ・プロテクションを面倒だと切り捨てる不可解な気分。そうした負の感情が突如、わたしを襲ったのである。  機械的にランチを摂りながら、朦朧とする意識のなか、わたしは次のように決心した。 〈鍋倉山まで縦走しよう〉  ランチを摂っていた小ピークは槍ヶ先からおよそ1時間程度で着いていたのだが、その小ピークは鍋倉山までの行程のおよそ5分の1ほどの場所である。ランチを摂り始めたのが13:30だったから、単純計算で鍋倉山までラッセルするだけで17:30である。そこから下山ルートの高橋谷川へのドロップをこなし、気の遠くなるような長さの林道歩きを完遂する。下山完了は20:00前になる。どう控えめに見積もっても正気の沙汰ではない。  わたしは調理器具を片付けると、力強くラッセルを再開した。  もはや鍋倉山のことしか考えられなくなっていた。      *     *     *  直接の原因はわたしの父親にあった(のだと思う)。  父が某新興宗教を信仰していることを、わたしは彼女に告げていなかった。この点は完全にわたしの落ち度である。  あえて言い訳をさせてもらえば、申告漏れが起きたのは彼が基本的には無害であることを知っていたからだ。誰にも信仰を強要しないし、葬式や結婚式のやり方にもこだわりはない。それほどの問題になるとは思っていなかった。  甘かった。彼女の両親はかねてよりわたしのことを低学歴の労働者階級出身者として疎んじており、実家の住所やわたしの経歴、勤務先、年収、仕事内容などの情報提供を執拗に求めてきていた。率直に言ってこれはたいへんな侮辱であると思うのだが、わたしはそうした忸怩たる気持ちをいっさい伝えることなく協力していた。ひとえに彼女を愛していたから。  彼女の両親は興信所を使い、そうした情報からわたしの父が新興宗教の信者であることを突き止めたらしい。  彼女から呼び出され、両親、祖父母、兄から猛反対を受けている、どうしても結婚はできないと告げられた。わたしは預金や相続予定の土地などを合わせた総資産の開示、父親の信仰が彼女側の親族に累を及ぼさぬよう念書を書かせる、それでも足りないなら最悪絶縁も考慮すると伝え、再考を促した。  結果はノー、であった。      *     *     *  ラッセルをこなしているあいだ、わたしは完全に忘我の域にあったとしか思えない。  昼過ぎまで好天だった天候は15:00あたりから崩れ始め、嘘のような猛吹雪が吹き荒れ始めていた。視界はホワイトアウトし、ルート確認のためやむなく手袋を脱げば、数秒で指先の感覚が失われる。  いますぐにでも予定を変更し、エスケープルートを構築しなければならないシチュエーションである。  ところがわたしは鍋倉山への縦走を、自分に課せられた使命であるかのように感じていた。この行程をこなさなければ死ぬのだ、というような強迫観念に苛まれていた。事実はまったくその逆であったのだが。  この日はスノーシューなどの冬季登攀用具をいっさい携帯していなかったし、靴もスリーシーズン用のライトなものだった。思えば最初からわたしは、死に場所を求めて入山していたのかもしれない。靴に雪がなだれ込んで足先は壊死寸前、まつ毛は凍り、体温は刻一刻と下がっていく。動いているから辛うじて代謝によって体温が保たれているだけで、10分も休憩すればそのまま低体温症で力尽きていただろう。  わたしは憑かれたようにひたすら歩き続けた。  16;30、鍋倉山はまだ数キロメートル以上も先だった。  ホワイトアウトした厳冬期の稜線では、無限に近い距離であった。      *     *     *  所詮釣り合いのとれない無理な関係だった。それはわかっていたし、自分が労働者階級出身であると何度も伝えていた。  それでもわたしは悲しかった。彼女は家族の反対を受けて、なんらかの説得を試みた様子はなかった。わたしが提示した父に関する対策を、両親に伝えたかどうかすら怪しい。  確かにわたしは低学歴である。確かにわたしの収入は平均程度である。確かにわたしの父は新興宗教の信者である。それでも自助努力を怠らず、収入が上がるよう積極的に職域を広め、父を反面教師として無神論者になった。  恋人はかねてより〈人を経歴や学歴で判断はしない〉と言ってくれていた。しかし現実に、彼女はそれらでわたしを判断したのである。家族が反対しようがどうしようが、最終的に決めたのは彼女自身なのだから。家族を説得するよりもわたしに別れを告げるほうが楽だと判断したのだから。それに気づいたときの深い絶望を、読者は想像できるであろうか?  断言する。できまい。できるなどとは誰にも言わせない。      *     *     *  17:45、突如わたしは正気を取り戻した。  猛吹雪のなか横たわり、全身は雪に埋もれ、歯の根は合わずにガタガタ音を立てていた。  猛烈な眠気と戦いながら現在位置を確認する。鍋倉山から半分くらいの地点、909メートルピークだった。  半月ほど経ったいまでも、あのまま眠っていればよかったのではないかと思うことがある。  それでもわたしは身を起こした。死への恐怖からではない。生への執着でもなかったはずだ。  恋人は別れ際、必ず幸せになってほしいと言ってくれた。わたしはうなずきながら、それは無理だろうと確信していたし、いまでもそう思う。誰と結婚しても真の意味で幸せになれないことがわかっていたからだ。おそらく今後、結婚自体しないだろう。  平均寿命まで生きるとして、わたしにはまだ50年近い余生が残っていることになる。気の遠くなるような、茫漠たる孤独な生だ。明らかに死んだほうがましだったはずだ。  それでもわたしは生きることを選んだらしい。  スマートフォンで現在位置を再確認し、東へ伸びる尾根を下れそうだとあたりをつけた。それからは早かった。宵闇の完全バリルートだったにもかかわらず、いっさい尾根芯を外すことなくトレース、最下部の沢に出てからも巧みに滝を回避しながら高橋谷川の本流に合流、渡渉を危なげなくこなして林道に這い上がった。  18:30、命を拾った瞬間であった。      *     *     *  ひとつ断っておく。わたしはあの日、山で死んでやろうなどとは露ほども考えていなかった。  だが実際に辿ったルートを後追いでトレースすると、どう控えめに見積もっても自殺するつもりだったとしか思えない。  山行記録の時間は最後のドロップ地点のものを除き、すべて推定である。ランチを摂った小ピークからドロップを開始した909メートルピークまでのあいだ、実はほとんど記憶がない。  人間は死のうと決意して死ねるものではない。それ以上の強烈な生への執着が上回るからだ。  この日までわたしは自殺者の心理がまったく理解できなかった。もちろん、いまならわかる。  意識が飛んでしまえば死への恐怖もなくなる。電車に飛び込む自殺者たちはわたしのように、フォームへ倒れこむその瞬間、明確な意識を失っているのかもしれない。  わたしは今季の暖冬に苛立っている。  もっと雪が降ってほしいと切実に願っている。  とっくの昔に卒業したと思っていた、厳冬期のチャレンジングな山行への意欲が増しているのがわかる。  次また大寒波が日本列島を襲来したら、きっと山へ出かけていくだろう。  もし読者にいくばくかの慈悲があるのなら、これがわたしの遺作にならないよう、どうか祈ってやってほしい。

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