
長編
思い出の中にだけいる女
チコ 2018年7月14日
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大正6年生まれのヤケに身軽な老婆は、やはりこの世の者ではありませんでした。
老婆の霊に拉致され、遠回しに金品をせびられた、鬼気迫る恐怖の実体験です。
1.捕捉
数年前のX月Y日、勤め帰りに飲み屋を2軒ハシゴした私は帰路の電車を乗り過ごし、一つ先の駅で下車する羽目になった。
一駅分といっても大した距離でないので、私は電車を使わず住宅街の細い路地を伝って歩いて自宅に向かった。
寺院が密集するエリアに近づくと、民家の2階に明りが点き、能面が浮いているのが見えた。
酔いは醒め、心の中で心霊検知メーターが自動で起動、心霊可能性90%以上を示し、赤く点滅し始めた。
私は下を向き、その民家を足早に通り過ぎようとした。
そこへ「あの~、ちょっとお話聞いていただけませんか?」と声が掛かった。
意思に反して私の足は止まってしまった。
恐る恐る振り向くと、能面に見えたのは丸顔の老婆であった。
心霊検知メーターは点滅を止め、針は70%を前後した。
この老婆は生きてる人で、トイレの電球が切れて自分で交換できないとかの事情で、通行人に助けを求めているのかもしれない、と私は思い始めた。
2.連行
私は老婆に言われるまま、その古びた民家に招じられた。
1階は老婆がスイッチをひねっても電灯は点灯せず、私の心霊検知メーターはは80%以上にハネ上がった。
老婆は弾むように階段を昇って2階の部屋に私を案内した。
部屋は適度に散らかって生活感があり、廃墟という感じはしなかった。
仏壇のような家具があったので、老婆がどこかへ書類を取りに行ってる隙に中をあらためた。
本当は老婆自身の位牌・遺影・遺品が入っていたのかもしれなかったが、
そのときの私には、何も入っていないようにしか見えなかった。
戻ってきた老婆は四つ折りの国民健康保険証を示し、大正6年生まれのAと名乗った。
そして遠くを見る目で「どこからお話しましょうかねえ・・・」と嘆息し、語り始めた。
照明器具の薄暗い光に照らされたその姿は、心霊再現ドラマから抜け出たようであった。
3.にゃまえを変えろ、にゃまえを変えろ
老婆Aはとある老人ホームに通園しているが、職員たちに「名前を変えろ、名前を変えろ」と執拗に迫られ、名前を変えた。しかし名前を変えたら元の名前の貯金通帳からカネを下ろせなくなって困った。
そこで元の姓に戻したが、老人ホームの職員たちに改名を迫られている。
でも改名すると貯金が下ろせなくなる・・・どうしたらいいんでしょう?
と残高5万円の郵便貯金通帳を卓に叩きつけて絶叫するのであった。
4.困惑
私は老婆Aが何に困っているか以前に、何を言ってるのか理解できなかった。
金融機関の口座名義は戸籍上の氏名に限られ、戸籍上の氏名を変えるには家庭裁判所の審判が必要で、勝手に何度も変えられるはずがない。
貯金を下ろすにはカ-ドと暗証番号、又は通帳と銀行届出印があれば足り、氏名を証明する資料は必ずしも必要ない。
しかしそのような常識を老婆Aに短時間で理解させるのは不可能に思えた。
5.一貫性なき供述
老婆Aは他にも「昭和15年に妹が結婚したが、相手が悪い人で、それから変なことが次々と・・・」とも話したが、「変なこと」の内容を尋ねても説明はなく、妹が結婚したのが昭和25年に変わっていたりと、供述に一貫性がなかった。
答えに詰まると鬼気迫る表情で上記3.の話を繰り返し、残高5万円の郵便貯金通帳を卓に叩きつけながら、
「・・・にゃまえをかえろ、にゃまえをかえろ、と言われて・・。でもにゃまえを変えると、貯金が下ろせなくなる・・・。どーしたらいいんでしょう!!」
と半狂乱になって絶叫するのであった。その姿は心霊再現ドラマに登場する最恐キャラクタ-、老婆の幽霊そのものであった。
老婆Aが何らかの虐待・詐欺被害に逢っているならば、私は関係官庁へ通報するつもりで慎重に話を聴いていたが、上記3.の話を繰り返し、残高5万円の郵便貯金通帳を卓に叩きつけて絶叫するばかりの老婆に疲れ果てた。
6.神仏
この老婆は神仏に救いを求めるしかないと考えた私は、近所のD寺にある、有名な芝居のヒロインC様の墓参りを老婆Aに提案した。
すると老婆Aは目玉を丸くして驚いた。その顔には「オメエ、何バカなこと言ってんだ」式の蔑みの色が滲んでいた。
そして「墓参りで問題が解決するんですか?そのお寺にはお参りに行ったことがあるけど、◎◎正人像より奥には行かない方がいいって言われた。お寺の人にも『名前を変えろ、名前を変えろ』と言われて・・・・。でも改名すると貯金が下ろせなくなる・・・ど-したらいいんでしょうっー!!」
と残高5万円の郵便貯金通帳を卓に叩きつけて絶叫するのであった。
7.釈放
名刹といわれるD寺が、老婆に改名を迫るなど詐欺師まがいの振る舞いをするはずがない。
そこでようやく私は老婆Aの話が全部嘘で、遠回しにカネをせびっていたことに気付き、嘆息した。
生者へ遠回しにカネをせびる幽霊など聞いたとがない。
心霊検知メーターは0に向けて急速に針を戻し、自動でシャットダウンしてしまった。
私は呆れ果てながら、金銭要求を拒絶するため「私は一介の安サラリーマンで経済的余裕も乏しくて、」と老婆Aに語り出したが、全部言い終わらないうちに老婆Aはアッサリと「お話聴いていただいてありがとうございました。長々お引止めしてすいませんねえ・・・」と解放してくれた。
老婆Aの家を出た私は自宅の方向へ向けて歩き出したが、その路地の片側に塀が長々と続き、卒塔婆が突き出ていた。
心霊現象まがいの怪奇体験直後に、墓地脇の道を歩くのは気色悪い。
別ルートで帰宅するべく振り返ると、先ほどの老婆Aが路地に立ち、深々とお辞儀してるのが見えた。
街灯など設置されていない暗い路地なのに、老婆Aの姿はヤケにハッキリ見えた。
私は涙目で踵を返し、墓地脇の路地を自宅方へ向けて歩き出した。
ホラ-映画みたいに老婆Aが空を飛んで襲い掛かった場合に備え、100円ライタ-を直ぐに発火できるよう握り締めた。
8.祈願
翌日、老婆Aの家を訪ねたが、普通の古びた民家で、空家の可能性はあるが、廃墟ではなかった。
その足で有名な芝居のヒロインC様の墓を詣で、「ムダに長生きしているAさんを早く連れて行ってください」と祈った。
健康で長生きも考え物だと思った。
9.真相
以降、老婆Aとの遭遇は、「なんちゃって心霊体験」として私の中で定着していったが、
数年後の4月Y日、国民健康保険証はかなり前からカード式に切り替わっていたことを私は知った。
老婆Aが生者であるならば、四つ折りの書面ではなく、カード式の国民健康保険証を提示したはずだ。
四つ折りの書面を提示したということは、老婆Aはこの世の者ではなく、国民健康保険証がカード化される以前に亡くなった幽霊ということではないか。
老婆Aの、あまりにも遠回し過ぎて真意が量り難い要求スタイルも、怪談で語られる死霊の振る舞いに酷似している。
D寺のC様墓所は誰でも勝手に入れる観光名所なのに、老婆Aだけ参拝を制止されたのも、この世の者でないのをD寺に見抜かれたからではないだろうか。
大正6年生まれといえば遭遇時点でも100歳近いが、老婆Aは弾むように階段を上り下りし、せいぜい70~80歳くらいにしか見えなかった。
その日、私は老婆A宅を訪れ、ポストに500円玉を供え、冥福を祈った。
その晩、入浴中に私はハタと気付いた。
「名前を変えろ」とは「俗名を捨て戒名を名乗れ」という意味でないだろうか。
想像するに老婆Aは死後、あの世で戒名を名乗るよう迫られ、仕方なく改姓したが、この世に残した残高5万円の郵便貯金に未練があり、成仏できないのでないか。もしかしたら戒名がないのかもしれない。
私は老婆Aを哀れに思ったが、戒名は坊さんに頼むと何十万円も掛かるので、自分で勝手に命名した。
老婆Aと遭遇したX月Y日が命日だと推測し、X月Y日の夜、老婆A宅を訪れたが、遭遇は叶わなかった。
私のカバンの中には今も「金無心改姓頻繁大姉 殿(俗名;A殿)、金6万円也、願事若干在中」と記した封筒が入ったままだ。
老婆Aには、迷惑料・戒名交付手数料等々しかるべき金額を支払ったうえで、キッチリ成仏してもらいたい。
合掌
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