
長編
日本101名山
しもやん 3日前
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ような表情をしている。
彼の鬼気迫るような様子からようやく察した。「〈禍嶺〉に登ったんですね?」
「見るか、写真」
和泉さんはデジタルカメラに保存された写真を見せてくれた。
〈禍嶺〉はとても現実の存在とは思えなかった。写真は中腹あたりの開けた小ピークから山頂を見上げているものであった。木々は不自然にねじくれ、葉は目に痛いような紅色、空も夕焼けとはどこか違う赤みがかった不吉な様相を呈していた。生命の伊吹は感じられず、虫1匹棲息しているようには見えなかった。
見ているだけで鳥肌が立つような、禍々しい写真であった。
「わしはこれ以上不幸になりたない」肩を掴まれ、前後に揺さぶられた。「誰ぞおらんのか、百名山やっとる友だちとか」
わたしは刺激しないよう彼をそっとふりほどき、荷物を大急ぎでまとめた。
「あの山に登ってから、わしの人生ムチャクチャになってしもた」
和泉さんは独り言を延々とつぶやいている。
「親兄弟、嫁はん、子ども。みんな死んでしもた。次はわしの番や。――夢を見んねん。死んだ連中が手招きしとる夢や。そいつらどこで手招きしとると思う。〈禍嶺〉や。〈禍嶺〉の山頂からわしを手招きしよる」
去り際、わたしはどうしても聞いておきたかったことを尋ねた。なぜいわくつきの第4版を譲り受けたのか? 和泉さんは当然だとでもいうかのように、呆れ返った様子でこう答えた。
「誰も知らへん101番めの山に登れるんやぞ?」
* * *
わたしは百名山にこだわった山屋ではない。自分の好きな山域を集中的に開拓し続けるフリーク型の山屋である。そうした事情もあり、百名山のいずれかの山に登る機会は少ない。
それでもときおり、遠征する際に意図せず百名山に登ることもある。山頂に立つと決まって和泉さんのことを思い出すのだ。呪われた書物を後継者に渡そうと血眼になっている彼の姿を。
なぜ和泉さんは幻の第4版をオークションサイトで売ってしまわなかったのだろう? 売れないのなら、なぜ燃えるゴミの日に出してしまわなかったのだろう?
彼はこう言っていた。誰も知らない101番めの山に登れるのなら、どんな条件でも呑むのが山屋の矜持であると。読者はどう思われるだろうか。人口に膾炙していない孤高の山に登るため、不幸を呼び寄せる(という触れ込みの)書物を進んで引き受けたがるのがまともな感性なのだろうか。
まともで
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- 奥の深い実話怪談でした。 百名山に魅せられた挙げ句、存在すら疑わしい未踏の101目の山「禍嶺」に傾倒するあまり、愛する家族や、生きる希望すら失ってしまった人間の業。ラスト一文が、切なく響きました。慈母観音
- 山には登らないけど話は興味深くおもしろかったです。うんこりん